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「Yokosuka 1953」感想@田辺エンプラス上映会

昨日、紀伊田辺駅前のen plusでドキュメンタリー映画を観てきました。

この映画は、5月に「奇跡体験!アンビリーバボー!」番組で内容をやっていたんですが、あまりに多くの側面を持った映画で僕は涙を抑えられませんでした。

最初アンビリーバボーを観た時は、幼い頃に生き別れになった母親を探す女性のメッセージ。
木川さんは同じ苗字だと言うだけで来たそのメッセージから女性のルーツを一緒に探すお手伝いをして、クラウドファンディングで女性を日本に招待して母親と所縁のある人々と引き合わせたり、5歳で養子に出されてアメリカに行くまでの彼女が住んでいた横須賀に行って過ごした場所へ連れて行く。
女性の覚えている日本の光景や母親を覚えている人との思い出を共有するうち、一枚も見つからなかった母親の写真をついに見つける事ができる。
とても感動するシーンだった。

でも、僕はアンビリーバボーでは泣く事はなかった。
この映画では、そのアンビリーバボーの話にある背景について、辛い事実を(女性の意向もあって)包み隠さず映画にしてくれている。
それは、戦争における女性や子どもなど弱い立場の人間が、どう生きてきて、どう強くあり続けたのか。
木川監督は彼女のルーツを探すお手伝いをしながら、その辛い事実をどう彼女に伝え、また女性の母親を知る人達は、それぞれの立場で戦後の混乱期の状況を話してくれていた。

彼女、主人公バーバラさんの母に対する思い。「全ては私のためにした事だ、母は全て私のためにしてくれた」
「だから私は強く生きて来れた。」
背景があって、この言葉の強さをすごく感じる。

バーバラさんは僕の母より5つ歳下。この時代はすでに戦後だと思っていたのに、まざまざと戦争の爪痕を残している。
生きる為に。仕方なくと言うより女性は想像以上に強かに生きて来た。

ルーツを探す事は、自分の生き方の背中になる。自分を前に押し出す力になる。自分のDNAに何が刻まれているか。
そして他者がルーツを探す場面に立ち会った人は、自分のルーツにも触れるキッカケになる。
そう思わせるドキュメンタリー映画だった。

彼女、バーバラさんがした旅は、巡礼だったと思う。
旅は、遊びかもしれない。でも、自分の根幹に触れる旅だってあるんだ。
不要不急の外出なんかしゃない。そう思った。

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