犬とパソコン

書く人に歴史あり

初めて物語を書いたのは小学校1,2年生の時だったと思う

ちょうど、飼っていた兎が死んで、その兎たちの軌跡を記憶に書き留めたいと思ったのが最初だったように思う

休み時間「よい子ノート」に線を引いて、せっせと四コマ漫画を描いたのが始まり

2年生の時の担任の先生が「画家」だったこともあり、その先生の目に留まり、いつの間にか書き上げたものを提出するようになっていた。はなまるをもらえることが嬉しかったことをなんとなく覚えている

その年の後半、図工の授業で取り上げられたほどだった。大きな画用紙に、「みんなも書いてみよう」って趣旨だった

発起人になったあたしは「誰よりも上手に描けなければおかしい」って、変なプレッシャーであまり良いものが仕上げられなかったことも思い出した。それが書き手としての自分の初めてのプライドの目覚めだったように思う

5年生になって、国語の授業で「創作物語」を書く時間があった。あたしは誰よりも自信があったにも関わらず、実は仕上げられずに終わった。それが疵となった

仕上げられなかったのは、クラスの転校生がさくさくと書き上げ、ざらばん紙にタイプアウトしてもらい全員に配られたから。あたしが一番に書き上げるはずだったのに…このざらばん紙はあたしの「物語」が書いてあるはずだったのに…という変なプライドから、やる気を失くしたからだった

思えばこの頃から、諦めはよかった。当時のあたしには、自信はあっても、闘争心がなかった

誰にも知られてはいない当時のあたしの感情は、それなりに「悔しかった」から、それ以来文房具屋さんに行っては原稿用紙を買い、小説のようなものを書くようになった。それがあたしの文筆の始まり

中学校の授業中は、ほとんどが創作活動に費やされた。当然あたしの通知表はおばかさんの証明みたいな結果だった

2年生の時、原稿用紙250枚程度の大作を書き上げ、初めて投稿。そして落選。諦めのいいあたしは最初から期待はしていなかった。この頃、現実の厳しさを知ることになる

高校時代は、同じことをしている友達ができた。よくふたりでケンタッキーに行っては将来の夢を語り、お互いの作品の批評をしあった

短大、そしてニートの頃(二十歳)、150枚程度の小説を書き再び投稿。第一次予選通過。これがあたしの過去の栄光。あたしの才能はココどまりだと思って、その後は趣味にとどまった

アルバイトをやっとし始めた頃、職場に「小説」を投稿して「賞金」や「商品」をもらっているという友達ができた。当然再熱。でも、諦めの良さは相変わらずで、趣味のまま「やっぱりあたしはダメなんだ」と再認識して今に至る

子どもを産み落としたら、それまでのひらめきや妄想が全く湧いてこなくなった。子どもを創造したからなのか、世間に飲まれ、だいぶ疲れていた。現実は「渡る世間は鬼ばかり」のような、大作ができそうなほど目まぐるしかったのに、だ

神は降りてこない

それでもちょこちょこ、書き溜めてはいた。時々小さな「妄想」もできた。でも、仕上がることはなかった。長きにわたる…(多分)スランプが続いた

大人になって「中途半端」なままにできない厳しさを知った。仕事も、生活も当たり前だけど「仕上げ」るまで、やめさせてもらえない。髄分甘ったれた人生だったと思う。だいぶ大人になるまで、なんとなくやり過ごしてきたことを一からやり直すことになった

更に大人になり「おばさんはなにをやっても許される」という魔法の言葉を知った。魔法にかかったあたしは、いろんなことに挑戦することができた。ちょっと余裕ができたら、また激しい「妄想癖」が復活した。そしてその「妄想」の行き場を思い出した

大人になったから、もう大人だから、…ということでもないけど、やっぱり書くなら書き上げたい。今ならやり切れるかもしれない…って思っちゃったんだよね

やれるかな…やれるよね…がんばるよ…頑張ろう…そんな途中のあたしです

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです