犬とパソコン

書く人へのあこがれ

おかしなことを言うかもしれないけれど、本気で思っていた・・・・


「ホテルにかんづめ」

・・・と、いうのをやってみたい!

別に追い詰められているわけでも、わたしはプロでもないのに、だ!

けれど、なんだかこの言葉にあこがれる
ホテルにかんづめ」・・・いつかそうせざるを得ない環境に自分を置けるのだと!
もちろん旅館でもいい。でも、1人きりは退屈だし、沈黙に耐えられないし、なにより静かなところで捗る気がしない
リビングで勉強して東大に入った人・・・みたいな? 笑笑

でもやっぱり、授業中が1番、小説を書くのに最適だったなぁ・・・(#^^#)静かだったけど緊張感があって、なぜか捗った。もう、あの空気は味わえないけれど、とにかく「書く」ことが好きだ


「庭の見える広い畳の部屋で、和装で文机に向かう」

・・・が、小説家のスタイルと思っていた

膝がぶつかるほど背の低い、なにも乗せられないような狭い木製の机の上に、万年筆とインクと原稿用紙だけ
いつかわたしはそのスタイルで小説を書く人になると!

・・・と、思っていたのだけれど、イメージの中のその人は、浴衣(?)の似合う今の時代にはいなそうなまんまる眼鏡男の人だった。それに平机、足しびれちゃうし、なによりも体系的に絶対無理
よって、いつまで経ってもそんなスタイルで小説を書ける日は来ないのだ

しかも! イメージはだだっ広い畳の部屋。想像の中だと30畳くらい?  枯山水みたいな、いや苔むす岩がゴロゴロ置いてあるようなじとじと~っとした広い庭が見えるような、そんな家。いったいどうやって手に入れるんだ? それに、ちょっとさみしい感じ・・・さみしいのは一番無理だ

だいたいそれを想像していた頃の私は「ビバヒル」に夢中で、ブレンダになりたくて、自分の部屋の壁に英字新聞を貼りたくって、和室にもかかわらずブレンダの部屋に近づけようと、真ん中に布団(bedじゃない)を敷いて寝てたり、コルクボードに写真を貼って飾ったり、ガラスのテーブル(ドレッサーじゃない)に香水の瓶をならべたりして程遠い生活をしていたじゃないか?

それもそれであこがれには変わりないけど、作家から遠ざかってしまったので断念(;^_^A


「違いのわかる、DABAだ~♪な、CMに出る」

でれねーわ( `ー´)ノ

でもあのCMに出れるということは「本物」であり「プロ」であり「職人」のような気がした

現在は会社事情であのCMが流れることはないらしいのだが、これと似た現象として「笑っていいとも」「徹子の部屋」に呼ばれることがなんとなくステイタスのように思っていた学生時代でありました(なまいきね)

なんでもカッコから入りたがる私の「書く人」になった先の未来がそこにあったのです


夢を追う前に、なってもいないその先を考えるのが私の悪い癖"(-""-)"
○○になりたい!」ではなく、既になった気分で「○○になったら~
なにをするか…と、なってもいないのにその後の自分を想像する。

野球選手になりたい子どもが、ヒーローインタビューの決め台詞を考えるような、そういう感じ。実に妄想の激しい子どもだった(今もあまり変わらないけど)。でも、時にはそういうのも大事とは思うのよね、ほら、イメージトレーニングって、こういうこと言うんじゃないのかな?

けれどそうなった時、今度は「××ができないから」やらない…と、全てを諦めるモードに切り替わる。そして夢さえも切り捨てるのだ。
なってもいない先を夢み、その先の出来事に打ちのめされ落胆して終わる。それが今までの自分

でも、きっと今は違う。今は、先は考えないようにしてるし、諦めてない。うまく言えないけど

憧れは憧れでしかない。現実に近づくには変化が必要だ。そうして「note」にたどり着いた。時々こうして確認しないと怖気づいて目的を見失いそうになるけど、とにかく、やり遂げるためにココに或る

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです