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FGM(女性器切除)について

こんにちは、代表の宮村です!

私は現在、ゲヌというアパレルブランドをしながら、暴力を受けた女性たちのための避難所を建設している"La Palabre"というセネガルのNPO団体を支援したり、日本でFGM廃絶を支援するNPO団体"WAAF"のスタッフとして活動したりしています。

FGMという他国の伝統的文化に日本人の私がなぜ関わるのか、それはしてもよいことなのか、今日は私が感じていることをnoteに書きたいと思います。

FGMとは?

FGMは、アフリカ・中東を中心に2000年以上前から続く慣習で、女の子の性器を切り取ったり、その後縫い合わせたりする行為のことです。目的は地域によって様々ですが、多くの場合は一人前の女性になるための通過儀礼とされ、切除されていない女子には社会的にネガティブなレッテルが貼られてしまいます。

WHOの推定では、世界で約2億人が切除しており、毎年約400万人の少女が新たに施術を受けています。施術は不衛生な環境で実施されることが多く、施術後の感染症、大量出血による死亡、激しい痛み、心理的トラウマ、その後の性交時の痛み、出産の困難、新生児の死亡率の増加、排尿の困難など多くの健康被害が報告されています。

FGM分布図


↑アフリカおよびイエメンのFGM分布図
(対象者:15歳~45歳の女性1997-2006)
出典: Demographic and Health Surveys (DHS)

ジャーナリストの伊藤詩織さんがシエラレオネのFGMを取材した映像があります。とても分かりやすい日本語字幕付きの映像ですので、興味のある方はぜひ見てみてほしいです。

▼伊藤詩織さんが制作した10分ドキュメンタリー『COMPLETE WOMAN』

▼フォトジャーナリスト安田菜津紀さんから伊藤詩織さんへのインタビュー

セネガルでは1999年に、FGMを違法とする法律が制定されました。しかし、村の伝統はそう簡単に変えられるものではありません。宗教指導者が大きな力を持つセネガルの社会では、ときに法律よりも宗教指導者の意見が優先されることがあります。

私はセネガルのFGM廃絶を宣言したいくつかの村でインタビューを行いました。ここでのインタビューは私の今の考えに大きく関わっています。

セネガルでのインタビュー

特に印象に残ったのは、元施術師(切除を仕事にしていた女性)の方と、宗教指導者の男性のお話でした。彼らはもともとFGMを支持していた人たちですが、TOSTANというアメリカのNGOによる学習プログラム(文字、言語、健康など様々なことを学びます)を受けた後、FGM廃絶派に変わり、現在はセネガルじゅうを回って廃絶を支援しています。

① 元施術師の女性の話

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”健康について学ぶなかで、FGMの健康被害を知る機会がありましたが、すぐには信じられませんでした。子どもの具合が悪くなるのは妖術のせいだと思っていました。また、FGMはイスラム教の教えだと思っていました。宗教指導者のところへ行き、FGMはコーランに書かれているか聞くと、コーランには書かれていないとのことでした。
子どもの健康によくないこと、イスラム教の教えではないことを知り、私は自分のしたことを後悔しました。施術師をやめ、野菜やナッツを売る仕事に変えました。稼ぎは施術師の方がよかったですが、物売りの方が気分はいいです。私が施術師だったとき、子どもたちは私の顔を見ると逃げていきました。しかし、今は私を見ても逃げません。村が考え方を変える前、人々はFGMをしていない女性とは結婚しませんし、彼女が作った食事は食べないどころか、隣に座ったり話したりすることすら嫌がりました。
勉強会の中で様々な民族の人たちが1つの場所に座り、議論しました。村の悪いことについて話し合いを繰り返すうちに、隣にいる人を認められるようになりました。”

② 宗教指導者の男性

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”長い間行ってきたことをよくないと認めるのはとてもとても難しいことです。はじめに外国人がこの村を訪れ、FGMの話をしたとき、私はひどく怒り、「その話をするなら、今この場でお前の性器を切るぞ!」と脅しました。
大切なのは、「FGMがどういう影響をもたらすか知っているか?」と聞くところからはじめることです。はじめから「FGMはよくない」という話で始めるなら、人々は聞く耳を持ちません。その話はタブーだからです。多くの人と議論をしていくなかで、長い時間をかけて気持ちが変化しました。”

NGOが行ったことは、会話のきっかけを作り、正しい情報を得るよう促し、村人たちが自分たちで最も良い結論を出せるようにするということでした。

私は、彼らにとって本当の幸せは何かを考えたことが対話を生んだと感じました。「伝統か性暴力か」という単純な議論では、見えてこない結論でした。

また、このNGOを立ち上げたのはアメリカ人ですが、メンバーは90%以上がアフリカ人で構成されています。

改めて考える、FGMに日本人の私がどう関わるか

FGMに限らず、世の中には理論上の議論が沢山あります。

「魚を与えるべきか魚の釣り方を教えるべきか」「物乞いをする子どもにお金を渡してよいのか」「援助のし過ぎでアフリカ人が頑張らなくなる」などなど…。私はこのようなざっくりとした議論がとても苦手です。

どこで、どんな人が、何に苦しみ、なぜそれが起きているのか、具体的な話をしない限り本質は見えてこないし、自分がどう行動すべきか分からないと感じるからです。

私が通っていた大学の講義では、FGMを取り上げるとき、「アフリカの伝統的文化vs西洋の自文化中心主義」という話がよく出てきました。先進国の人間がアフリカの伝統的文化に口出ししてもよいのか?という話です。しかしながら、その資料には少しもアフリカ現地の人の声が入っていませんでした。

FGM廃絶を訴えているセネガル人活動家のキャディコイタさんは、私に言いました。

「私たちは、アフリカ現地からずっとFGM廃絶を訴えてきました。でも、最初はユニセフなどの国際機関でさえ、FGMはアフリカの文化であるから否定することはできないと言い、私たちの廃絶運動は支援されませんでした。それが、国際社会がFGMは暴力であるという考えに変わってから、FGM廃絶に資金が沢山使われるようになり、国際NGOが積極的に動くようになったのです。」

1960年代から、スーダン、ソマリア、ナイジェリアの医師たちはFGMの健康被害について気付き医学誌に発表したり、アフリカの女性団体は啓蒙活動を始めていました。その後のアフリカvs西欧フェミニストの闘いに焦点が当てられがちですが、本来の廃絶運動はアフリカ現地から起こったものだったのです。

私は、本当に問題なのは、国際社会にアフリカの人たちの声が反映されないことだと感じました。

現在、世界各国に、FGMから逃れてきたアフリカ人女性たちや、廃絶運動をしたために命を狙われた人たちが逃げてきています。日本にもそういう人たちがいますが、難民として認定されず、自国に強制送還されることを日々恐れて過ごしています。

必要なのはアフリカの文化を否定することではなく、寄り添うことだと感じながら、私はキャディさんをはじめとするアフリカ現地の廃絶活動家を支援することを決めました。

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↑キャディさんとベルギーで再会(2020)

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↑インタビューに同行してくれたNGOスタッフとセネガルで再会(2020)


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