『論理哲学論考』を読んで

ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んだので、さっそく感想を書いていきたい。

本書の中で最も印象的だったのはやはり、「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして語られえぬものに関しては沈黙しなければいけない」という台詞。

この台詞がかっこよすぎて正直それ以外あまり覚えていない。というより、正確には何が書かれているのか半分以上理解できなかった。やはりIQ190の天才の考えていることは常人には到底理解できないみたいだ(IQが違いすぎると会話が成立しないというのはどうやら本当らしい)。

確かに本書の内容はほとんど理解できなかったのだが、哲学の流れを大きく変えたという前評判の意味はなんとなく理解できた。というのも数多ある哲学書の中でも本書は異色中の異色であるから。何が異色なのかというと、それまでの哲学の常識をガン無視して彼が独自の哲学論を構築している点。

ウィトゲンシュタインが伝えていることは要するに、

「今までの哲学って全部意味がないよね。だって言葉の定義やら論理構築やらがそもそも初めから間違えているんだから。そんなんで答えなんて解るわけないじゃん。だから私が哲学というものをきちんと定義して差し上げますよ。はいどうぞ….。さて、これで哲学の問題は実質的に全て解決されましたよね?なのであとは皆さんでどうぞお好きにやってください」ってこと。

実際に彼がここまで不遜な人物だったかどうかは定かではないが、要はそういう主旨のことを彼は本書の中で証明している(と推測されうる)。

ちなみにウィトゲンシュタインは論文を学会に提出した際、「心配しなくてもいい、あなた方が理解できないのは理解している」と審査員に向けて語っている。

というわけで本書の内容はほとんど理解できなかったものの、彼の異端ぶりはよく分かった。個人的にこういう今までの業界の常識をぶち壊す系の人物には好感が持てる。

ただしそれとは別に「それで本当に哲学の問題を全て解決できたのか?」という疑問も残った。

※以下はあくまで疑問。見当違いの可能性もある。

要は彼は定量的かつ論理的な方法でなら世の中の問題は全て解けると言っているわけだが、その彼が定義した論理形式が間違えているなら当然その答えも間違えているわけだし、そもそも最初から答えを求められない(量的に)のなら意味がないように感じてしまう。

要は彼の定義した論理形式自体が正解・不正解かの確認の取りようがなく(確か彼も論理形式は人間の判断の外にあるみたいなことを言っていたはず)、となれば何も言っていないに等しいのではないか。また「語られないものについては沈黙しなければいけない」と諦めている以上、彼自身が論理と言語の限界を認めてしまっている。それはつまりその外側の世界に真理が存在する場合、人間には理解しようがないと言っているに等しい。

ちなみに『生物から見た世界』においても「人間は人間の認識以上の世界は見れない」的なことが書かれてあって、もしかするとウィトゲンシュタインの哲学もこの本と主張自体は似ているのかもしれない。

実際に彼が何か一つでも哲学的な問題を解決してくれているのなら話は別だが、残念ながら本書ともう一冊の書籍を出版して彼はこの世を去っている。

ゆえに本当に解決したかどうか判別しようがない。

その一方で本書は独特なオーラを放っており、それこそまさに「論考」しがいがありそうだと感じた。だからこそ彼の哲学は後の哲学者たちに引き継がれていったのだろう。

個人的にも非常に興味をそそられたので、折に触れて本書を読み返したいと思う。そしてもし完全に理解できる日が来ればまた記事にしたい。

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