いつまでも「失われた30年」に縋っている場合ではない
日本人の多くは未だに「失われた30年を取り戻せ」なんて懐古主義に囚われている。
しかし、日本は明らかに衰退国家である。
今この瞬間しか認識できない人たちには、「は?衰退とか何言ってんの?」と訳が分からないと思うが、全体を俯瞰する力があり、歴史に対する教養を身に付けている人間であれば、ちょっと考えたら理解できる。
日本は明らかに衰退期の真っ只中にある、と。
少子高齢化や経済成長の停滞を初めとする諸々の社会問題は、日本が衰退していることの何よりの証拠であり、解決する糸口は今のところ見えてこない。
もちろん新たにエネルギー資源が見つかるとか、GAFA並みのハイテク企業が勃興するとか、少子高齢化を抜本的に解決し得る有効な打開策が講じられるとかであれば、日本が改善される可能性もまだ残されていると思う。
しかし、私の見立てではそれは宝くじの一等に当選するくらいの確率で、なおかつその一等を複数回引き当てることが出来てようやく実現する。それはまさに天文学的な確率における実現可能性と言えるだろう。
加えて、それを実現するには有能な政治家が正しい政治を執り行っているという前提条件が必要になるが、現状の政治を見ていると、どうもそれも期待できそうにない。
となれば、残念ながら衰退のトレンドを食い止めることはほとんど不可能と言わざるを得ないだろう。
…
しかし、別に驚くような話ではない。
少しでも歴史を学ぶと繁栄した国家は必ず衰退するという人類普遍の法則に気付かされる。
ローマ帝国、大英帝国、スペイン帝国、モンゴル帝国…等々。時代や規模感は異なるものの、どれだけ栄えた国も必ず最後は衰えている。
つまりはその法則通りの現象が今の日本という国に起きているだけで、何もこれは騒ぎ立てるような話などではなく、自然の摂理に過ぎないというわけだ。
おそらく数百年後の歴史書には、「かつての日本は経済大国として名を馳せたものの、その後数十年間停滞し、そのまま衰退した」と記されているだろう。
「全体を俯瞰し、歴史に精通している」賢い人たちは、すでにその事実に気付いており、早々に日本に見切りを付けているか、もしくは来たる時代に向けて準備を整えている。彼らは今起きている変化を敏感に感じ取っていて、「その上でどうするか?」を考えている。
一方で「失われた30年」に縋り続けている人たちはどうだろうか。
彼らは過去の栄光に縋り続け、いつまでも淡い希望を捨てきれずにいる。ともすれば「希望を捨てずにいれば、いずれまた繁栄の時代が到来する」なんて妄想しているかもしれない。
「では、どうやって?」と聞いてもおそらく彼らからは何も返ってこないだろうし、返ってきたとしても「頑張って経済成長して」なんて精神論を返されるのがオチだろう。
しかし、そうやって過去を立脚点とし続けている限りは、いつまで経っても正しい現実認識および建設的な議論は出来ない。
その態度はあたかも太平洋戦争の日本軍のようだ。太平洋戦争においてすでに負けが確定していたにも関わらず、軍の上層部はか細い希望を頼りに神風特攻を行い、負けをより深刻なものにした。
もしも合理的に行動するのであれば、負けが確定した時点で上層部は戦略を変えるべきだったろう。しかし、それが出来なかった。理由は空気が許さなかった為らしい。
今の日本も似たような状況に陥っていると感じるのは私だけだろうか。
現時点でその答え合わせは出来ないものの、少なくともそうなった場合を想定しておくだけでも有意義だろうし、初めて見えてくるものも色々とあるはずだ。
「失われた30年」は過去の話であり、我々が本当に目を向けなければいけないのは未来である。
要するに茹でガエルになってからでは遅いのだ。
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