組織が“ヒト”である理由

民間企業に属していて思うのは、これだけ図体のデカい組織も結局は人によって成り立っているんだなってこと。おそらくそこに大小の違いはない。

組織に所属するメンバーの意思や思惑によって、その瞬間における組織(という全体)は形造られている。

どこかの誰かが「経営はアートだ」なんて名言を残していたけれど、多分そういう文脈で言ったのだろう。経営者がアーティストなら、従業員は素材。いかにもサイコパス的な発想である…苦笑

いくらデジタル・トランスフォーメーションが進もうとも、「組織はヒト」であることに変わりはない。人によって活用されなければ技術は意味を為さないからだ。技術だけあっても成果には繋がらないし、使う人間が駄目なら技術は全く機能しないかはたまた悪用される。

技術を活用する前にまずはヒトを活かすこと。

それが真に求められていることであり、現代流の経営だと私は認識している。

その点において経営の神様と呼ばれる松下幸之助は凄まじい。なんせかなり昔から「組織はヒト」を実践していたのだから。同氏の経営に対する理解力の深さと先見性の高さが窺える。

その一方で未だにほとんどの企業はそのことに気付いてすらいない。依然として人をコストと見做し、目の前の仕事に人を縛り付ける。場合によっては奴隷のように、場合によっては機械のように人を扱っている。

その様子をドラッカーが目撃したらなんて言うだろう?きっと「人の強みに着目しろ」と諭すに違いない。

そういう企業が多いからこそ、現代流の経営を実践した所から一抜けしていく気がする。反対に気付くのが遅れれば時代から取り残されていくだけだ。

「多様性」「個の時代」「一億総活躍時代」なんて叫ばれているのも、おそらくそういった背景があるからだと思われる。


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