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Fake,Face 10

 「なぜこっちが気になる?」
 ヨシオは2本目の酒を注文してから、しばらく目を閉じ、財布を取り出して運転免許証を探した。
 自身の顔写真を見ようとした。酔いに助けてもらって思い切ったのだった。
 自分の顔だった。恐れていたように、別人の顔写真ではなかった。あらためて名前や住所も確かめた。
 ただ、自分が自分で自分の顔と信じている自分の顔だったが。
 しかし、ひょっとして向こうの人たちにヨシオはヨシオとは別人に見えているのかもしれない。彼らが知っている人として。

 酒が喉から胃袋にねっとりとと落ちていって、指先まで温もってきた。
 隣の空いたテーブルでは地味なバンダナを巻いたエプロン姿のモナ・リザが、食器を片付けて布巾を使っていた。
 ふとヨシオは幼い日に家族で外出した街での出来事を思い出し、苦笑した。誰にでも思い当たる小事件だ。
 電車の中か商店街の雑踏で、小さいヨシオは家族とはぐれないようにひたすら父のズボンを追って付いて行った。濃い茶色の地に薄茶のストライプが入ったズボン、ギュギュッと小気味よくきしみながら歩いて行く黒い革靴。それだけを目印に懸命に歩いていた。
 革靴を磨くクリームのにおいさえ鼻の奥に蘇った。
 靴底がジリッと砂粒を踏み砕き、父が立ち止まった。この音にヨシオはいつも大人を感じた。歩き疲れていたヨシオは、ほっとしてズボンをつかみ父を見上げると、別の男の顔があった。人混みで間違って別人の同じようなズボンを追っていたのだ。

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!