見出し画像

Fake,Face 6

 「妻が帰ってきたのか?」
 それにしては少し早い。ドアフォンのモニターを見ると、ウェブ通販の配達だった。
 「···あの本か」。数日前に注文したやつだった。
 箱を受け取ってドアを閉め、居間に戻ったヨシオは怪訝な表情になって首をかしげた。
 「さっきの配達人、どこかで会ったか見たことがある」
 マスク越しにも細面に高い頬骨、目元は帽子のつばに隠れてよく見えなかったが、愛想の良さそうな男。バラエティー番組でおなじみの芸能人?
 のど元まで思い出したが、名前が出てこないもどかしさに少しいらだちながら、ヨシオはテーブルの上でほとんど手つかずのままの朝食を見て、ほんの小一時間前からの混乱を振り返った。
 頭の中にドブネズミが走り回り、血圧が上がっていることは間違いなかった。
 自分が信じて疑わなかった情報が間違っている。そんなことがあれば、人間はおろか動物だって生きていけない。仲間の顔が敵の顔と入れ替わっていたら、水がいきなり土に見えたら······。

 「少し落ち着け」
 「······」
 空腹を感じたヨシオは冷蔵庫から冷たい牛乳を出し、残っていたトーストやヨーグルトを食べ始めた。習慣的にテレビのリモコンに手が伸びたが、やめておいた。
 トイレに立って、洗面所で手を洗った。だが、視線は正面の鏡を外れ、水栓から手元、タオルへと慎重に移っていった。
 「何をおびえている?」

 カップや皿をキッチンに戻した足で、居間の隅に積んであった古新聞を取りに行った。数日前の国際面にトランプの記事があったはずだ。テレビニュースでも報じていた。大統領退任後、政治活動を再開して各地を遊説しているという外電だった。
 見つけた記事の写真は、黒い髪と口ひげ、堂々とした鼻梁のアブラハム・リンカーンだった。
 このリンカーンが集会で声高に叫んで支持者を熱狂させたという。
 「アメリカファースト! アメリカファースト!」

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!