可能世界と黄金の精神

(編集中。とりあえず、書きなぐる。)
⬛構成メモ
・その先を求めるとして、知覚可能な範囲の広さで不安にも安心にもなる。
→不安には黄金の精神でたちむかおう。しかし、ノミのそれは勇気とは呼べない。無謀だ。
・ノミのごとく立ち向かう者を度々目にする。例えば、森羅万象を総て知りたいという欲望のまま、ところ構わず攻撃を仕掛けて戦いを挑む。
→言う人は総じて「それだけ」の人が多い。分析せずに、方法論を持ち合わせていない。
→そこで、「現状の手法で目的を達成できるかの分析」と、「問題構造を踏まえた上で、目的を達成する手段」について残す。前者は「オーダー記法による計算量分析」、後者は「三点固定法による記憶」である。
・オーダー記法→ただ憶えるだけでは現実時間で困難。→もっというと、記憶の仕組み的に非効率。
・三点固定法→わかるものから導く。推論。
・【まとめ】
 それはぼんやりわかる。という感覚。言葉にならないものも含めた記憶。直接見えるものだけで理解しようとすると、単純だけど複雑な奥深さにたどり着けない。それは記憶の階層性とメタパタンの仕組みによる。Quizologyの体系も同様。
 以上を踏まえたクイズの向き合い方の一例。そして、それは世界との向き合い方、自分事として自分の身の丈で世界を理解し世界とつながり残していく黄金の精神。
 


・知らぬが仏なこの世界で、そこらで溢れる地獄を見に行く話


可能性を掴んだその日、
人類は滅びの日を知った。

遠くない未来。
だけど、近くもない未来。

「100年後。隕石がふってくる。」

  ◇  ◇  ◇  

望遠鏡を覗く。

ある生物が持つ周囲の状況を観測する能力の高さ、すなわち「その生物が知覚可能な範囲」とは、見方を変えれば「その生物が環境から影響を受ける範囲」でもある。
我々が深淵を見つめるとき、深淵もまた我々を見つめている。そんな気がしてソワソワしてくるのだ。


より多く、より遠くの状況を知れば知るほど、インプットできるデータは増える。迫り来る危険に対して先手を打つことができるので、生存本能としては色々と嬉しい。

しかし、知覚できたとて、知り得たものを完全に理解できるわけではない。漠然と危険が迫ってくるのがわかったとしても、情報が不完全であれば、適切な意思決定は難しい。

知るほどに、わからなくて不安になる。
知らぬが仏。

寿命を全うするその日まで、降りそそぐ隕石など知らずに過ごし、あの世へお去らばできたならば、終生、仏のごとく現世を過ごせただろうに。


天国へと至る道は、地獄から続く一本道。
知るか知らぬかは、あなた次第。

知らなくとも、ちゃんと地獄はそこにあるので、みようとすれば、地獄がみえてくる。

おそらくそこでは、一人の力ですぐに片付くレベルではない数々の悲劇が、闇に包まれた迷路のような構造の中で、繰り返し渦巻いている。
灼熱の苦痛に身を焼かれ、露に骨を晒そうとも、熱さが喉元を過ぎれば地獄の風が通りすぎ、繰り返し悲劇が始まる。

消せない問題に立ち向かい続けるならば、精神は磨耗し、人生を棒にふる。
もちろん、立ち向かい続けなければ、天国を知覚し、安心を得ることはできない。

いずれ隕石は滅びを伴いふりそそぐ。
重要な問題を見つけ出すのは混乱を招くお節介ややもしれない。だけど、問題解決の第一歩は、正しく問題を把握すること。それは、偉大な一歩である。

  ◇  ◇  ◇

他人の不幸に共感するのは素晴らしい。
他人の幸福を増加するのも素晴らしい。

しかし、不幸も幸福も際限がないのではないか?

宇宙から降りそそぐ無数の塵を払いきるのは、地獄を流れる賽の川原で石を積むがごとし。

つまり、他人の仏様など、ほっとくのが賢明だろうか?

かつての古代ローマにセネカという人物がいた。
人はその生が尽きるとき、後悔するか満足するかを次の基準によって決めると考えた。

生きた時間-主人のために費やした時間-奴隷の懲罰に要した時間-自らの責による病で苦しんだ時間
(大西英文(訳)(2010)『生の短さについて』岩波文庫)

すなわち、自分のために費やした時間である。

他人の不幸に共感するのは素晴らしい。
他人の幸福を増加するのも素晴らしい。

だけど、それを自分の事だと、自分事に還元して考えていない限りは、他人のために犠牲になった時間でしかない。

不幸に苛まれる時間から解放されれば、自分の時間に費やせる人が増える。それを、自分事として、心から喜べるようなマインドでなければ、その生が終わるときに後から悔やむ。お悔やみ申し上げる。

・手段により限界が決まるお話

とはいえ、頑張ればいいね!という話だけではない。確かにナーバスな気持ちよりもポジティブな気持ちでいるほうがモアベターだろうが、精神論では地獄を抜けるに心許ない。

迫り来る隕石から逃げるのに、足は早いが動かないウサギと、足は遅いが地道に進み続けるカメのどちらが良いか?

などと、手段にとらわれて目的を見ないのは阿呆である。逃げ切るためなら、カメのように走るウサギの足を求めねばならない。
それでも逃げ切れないなら、ロケットを使うなり、ロケットをぶちこんで隕石をアルマゲドーンするなりしなければならん。

大事なのは「その手段で目的を達成できるか?」を考える目的志向の思考様式と、それを実現するための実用的な技術力を持つことである。

メフィストフェレスの悪魔に挑むには、敵の大きさを知らねばならない。その悪魔は恐ろしく、触れたときではなく触れ"ようと"しただけで魅了されてしまう。

全知全能に達したときを想像するだけで、ドーパミンがドパドパ溢れてくる。
人はあるものが得られると想像し期待するだけで、それを得られた時と同じ快感を得られるのだという。

それを走因子(ドライバー)として、現実での報酬獲得を目指して動く。しかし、求めるものが手に入れがたいほど、求めるのに手に入らない現象と理想のギャップにイライラが募っていく。そのイライラを解消するために、また得られたときの喜びに想いを馳せて得られるドーパミン報酬で埋め合わせをする。

だけど、回数を重ねるたびに、ドーパミンの必要量は増え、依存していく。決してたどり着けない。
身体は動かなくなり、得るための理想論ばかり口先で物語り続けるようになる。言葉は口先で消えていく。

オーダー。メフィストフェレスの大きさを知ろう。
この世の総てを知りたいとする。
この世の総ての大きさはどれくらいだろうか?

仮に1該(10の20乗)と概算してみる。
これを、1つ理解するのに、1秒かかるとする。

刹那的に勇気だ努力だと体当たりする。苦しむ。
大きさに震え、身を強張らせ。虚無感に打ちひしがれる。

その先。

永遠を生きるかのように生き、明日に死ぬかのように学べ。

つまり、地道に自分の身の丈で興味をもち、面白がり、楽しんでいくのが、メフィストフェレスを打ち倒す術だ。

そして、一人ではなく、複数人で、見方によっては全人類規模で面白くて分けうる物事をみつけ、一緒に楽しむ。

・三点固定法


全検索のオーダーから、ツリー構造のオーダーへ。

ツリーの構造に大事なのは、階層化とネットワーク化

そもそも、わかるはわけうる。
そして、わからないものはみえないしいえない。

脳の記憶領域は、コンピューターのストレージに例えても遜色ないだろう。もともと、脳だったものだ。

数十億の事象を線形に検索するに、現実的な時間では足りない。ネットワーク上にしよう。

記憶はドネルケバブではない。ネットワークなのだ。

そのために有効な武器が、「三点固定法」である。

ねぶた作りの話。
→ねぶたの人形の中に電球を固定する。固定は大事。火事になる。隣のクラスの山車は燃え上がっていた。
固定の仕方は、針金でとめる。
一本だとびよんびよん動き定まらない。
二本でも前後にくるくると動き定まらない。
三本で、やっとがっちりと固定される。

それぞれ、別の方向からでないとブラブラする。
記憶にもアナロジれる。

理解の補助として、ひとつ、小噺。

もとは、「狩猟」と「脱獄囚」とタイトルを変えてみた認知心理学の実験である。

Q.次の文章を三分間みて覚えたのち、文章を伏せて、一字一句、書き起こしなさい。

『かむとあじがする。』
 
◯◯◯
◯◯◯◯◯
◯◯◯◯◯◯







(以上)

続けて、同じ文書をもう一回覚えて再現してもらう。
このとき、もう一回同じものを覚える「リハーサル」をするAグループ、同じ文章だけど題名を「三時のおやつと晩御飯」に変えたものを覚える「リハーサル+リフレーミング」のBグループとにわける。

Bグループを体験してもらおう。

『三時のおやつと晩御飯』
 
◯◯◯
◯◯◯◯◯
◯◯◯◯◯◯







(以上)

触れたことは、記憶に残る。
あるオブジェクトに対して真となるFacet-Property(述語)が複数あるとき、「複数の述語が存在すること」から、その述語のアフォーダンスをたどり、共通の表現を固定化するというカラクリである。


経験したことは、覚えているのだ。
言葉にできない記憶というものがある。

わからない問題に出会ったとき、単に字面や示された情報だけをなぞり憶えようとするのは、憶えたいという目的からみた場合でも効果的ではない。周辺を知り、言葉にできるもの、できないもの、クイズの文法では出せるもの、出さないもの、全体を探して、見つけて、面白いポイントをみつめ、咀嚼し、反芻し、ゆるい階層とネットワークを推測し構築、更新する。

可能世界は無限で無尽蔵のように見えて、制約により有限であり、また、制約により区切られた部屋を見てみると、あなぽこだらけのスカスカなのである。
地球の人口はせいぜい70億弱。その程度の可能性しかないのだ。

段々と、Quizologyの核心に迫って行こう。
理解するに必要な事柄は、一瞬では伝えられない。

階層性やメタパタンが阻むのだ。いや、正確には、近接領域でしか理解できないヒトの記憶メカニズムと、理解するに必要な事柄が100あるとして、それを組み合わせ事象を網羅した2~3個の概念のつながりに落とし込んだものの落とし込み方が巧み過ぎて(要は情報密度が高すぎるため)、それだけ見て理解できると勘違いさせてしまうということだろう。

例えば、「あいうえお」で理解できる世界があるとする。理解したと言うに、あ、い、う、え、お、の5つのみ説明したのでは足りない。あい、いう、うえ、といった言葉は、みえずらく、あらためて説明が必要である。そして、あい、いう、うえ、は理解の前段階として、あ、い、う、え、を理解していないと分かることができない。

精巧に作られた概念装置は、部品の理解と、部品間の相互作用の理解とを往復しながら、じんわりと、全体の奥深さ、アレグザンダーがいうところの「名付けえぬ質」が懐に落ちてくる。

あの日想い描いた理想の世界がいつか来ると信じて、今日も記憶ではなく記録に残そう。未来を想い描く、黄金の精神をもって。(終)

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