巡り巡るシャンプーとリンスとコンディショナー

髪の仕上がりというのは、その日の"運"できまるものだと思っていた。髪がゴワつくと、今日の乙女座の運勢は下から数えた方が早いな、なんて思っていたし、寝癖がついた日には妖怪アンテナが働いていると本気で思っていた。

大学で独り暮らしを始めて、身だしなみの本を買った。
衝撃の事実。シャンプー・リンス・トリートメント(コンディショナー)は全部別物で、それぞれに役割があることを初めてそこで知った。

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まず、シャンプー。

シャンプーは「髪の毛を洗うもの」と思われがちだが、そうではなく、メインは「頭皮のふけや汚れを落とすもの」である。また、しっかりと手のひらで泡立ててから使わないと効果がうすい。汚れを落とすのは泡である。何年か前から泡洗顔ということばをCMでも耳にしたことがあると思うが、それだ。

地肌を洗うときは、決して爪をたててはならず、指の腹でやさしく撫でるように洗うべし。これは、爪を立てると頭皮が傷つき、傷口から雑菌が繁殖してかゆみや不衛生につながるからだ。

そして、リンス。

髪の毛はシャンプーでさっと汚れを落とし、ゴワつかないようリンスで軽くすすぐ。シャンプーにより髪の毛の油分が無くなってしまうので、適度に補いなめらかにするのがリンスの役割である。

最後に、コンディショナー。

髪の毛は濡れる時間が長いと松ぼっくりのようにキューティクルが開き、髪を痛める原因となるので、髪の毛はさっと洗い、失った油分をコンディショナーで整える。

コンディショナーも頭全体にドバッとかけてはならない。髪の毛の中間から先端にかけて、なじませるようにつけていくのだ。頭皮にコンディショナーが付着すると頭皮が油脂多過となり、かゆみや不衛生につながるので注意が必要だ。

コンディショナーをなじませる間に身体を洗う。
身体を洗うのに使うのはもちろんボディーソープだ。垢擦りで泡立て、こちらも軽く身体をこする。あまり強くこすると肌が傷つき、傷口から雑菌が発生し、かゆみや悪臭のもととなる。身体の中でも汚れが溜まりやすいのは窪んだところや肌と肌が合わさる可動部分なので、そこを意識して汚れを落とす。

コンディショナーが髪になじんだら、頭に残らないようにシャワーで洗い流す。繰り返しだが、残してしまうと油脂多過となり、かゆみや不衛生につながる。

風呂場を出てバスタオルで髪を拭くときも注意が必要だ。
よく、頭をバスタオルでわしゃわしゃっと拭くのを見るが、あれはせっかくトリートメントで整えた髪を傷めてしまう。乾いたバスタオルを頭に被せ、タオルの上からポンポンと軽く叩くように水分を吸わせて大まかに水分を無くしたら、ドライヤーで仕上げて完成である。

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上記のことは、ほとんどの人にとっては、何あたりまえのこと言っているの?くらいの常識かもしれない。

しかし、ゴワつく髪や跳ねる寝癖は、「おしゃれ=お金がかかるもの、面倒くさいもの。」という認識があり、ボディーソープ兼シャンプーしか置いてない我が家では、人知の及ばない、どうしようのないこと、それこそ"運"であった。

テレビで流れるLUXスーパーリッチの高級なCMが、「髪の仕上がり=運」観に、さらに拍車をかけた。

家庭科で教えてくれたら良かったのになぁとも思う。
家庭の機能は、ひどくまちまちだ。

父は多忙で家にいなかったし、母も「男の子は勝手に育つ」的な超・感覚的に物事を処理する人だった。石鹸ってキレイにするものだから、石鹸で髪洗えばよいというくらいだ。
なので、自分ではシャンプーもリンスの違いはわからず、ましてやコンディショナーやトリートメントなんかは高級化粧品と同じ類いのものだと思っていた。

きちんと教えてくれればとも思うが、いや、両親ともに多忙で余裕がなかったのかもしれない、あの頃は。

  ◇  ◇  ◇

大学三年生のころ、実家に帰ったときに、愛弟と末弟(三男と四男)を連れて銭湯へ行った。

それぞれ9つと12も離れていると、もはや弟というよりは、自分の息子のような感覚である。
赤ちゃんのときからお世話し、散歩に連れ歩き、保育園の送り迎えに行ってたので、半ば子供を持たずに子育てをしていたようなものだ。

「ひとがやっているすべての行為にはレベルがあるんだ。」

浴場の身体を洗う場所で、愛弟のおちんちんを見ながら話す。お、毛が生えてきたか、よしよし。

顔を見る。何となくわかるけど具体にどうだろう?と探り探りしているような、少し難しい表情をしている。よしよし。

「例えば、髪の洗い方の話な。レベルアップしよう。」

愛弟は小学五年生であり、おしゃれに興味津々なお年頃なのか、明るい真剣な顔になる。

その隣では小学二年生の末弟が、インド人が踊るときみたいに頭の上で両手を合わせ、シャカシャカシャカとシャンプーを泡立てている。変な癖だが、聞くと、シャンプーを体の前で泡立てるとこぼれたシャンプーがもったいないから、頭の上で泡立てているのだそうだ。なるほど、確かにこぼれても無駄にならない、天才的だ。やはり、こやつは将来大物になる予感がする。

愛弟と末弟に、シャンプー・リンス・コンディショナーの役割と使い方を教える。

長兄「あと、本当に手入れするなら、いったん洗った後に髪を乾かすのがよい。髪が濡れたままの状態で放っておくってのは、そうね、、例えば、傘を忘れて、どしゃ降りの中、雨に濡れながら家に帰ったことはある?」

末弟「むしろ、傘持ってても濡れて帰ることある。気持ちいい!」

長兄「風邪をひくから傘はさしなさい。家に帰った後、髪の毛がいつもよりゴワゴワしない?」

愛弟「する!あれ、酸性雨だからだと思っていた!」


長兄「あと、髪をタオルで拭くとき、どうやってる?ワシャワシャしてない?」

愛弟「してるね。」
末弟「おじいちゃんが、いつもわしゃわしゃしてくれる!」

長兄「ポンポンが基本よ。やさしくね。よし、風呂から出たら兄ちゃんがポンポンしてやろう!今日は風呂あがりのジュースもおごっちゃるぞ!」

愛弟・末弟「やったあ!」

  ◇  ◇  ◇

愛弟も末弟も大学院生と大学生になるまで大きくなった。今では、愛弟の方がファッションに詳しくなり、時折アドバイスをもらうたびに、うれしみが深い。

人と何かを共有すると、それは巡る巡りして、いつかどこかで自分に帰ってくる、なんて妄想が実現したようで嬉しくなる。

だけど、そう思う前から、生きている限り他の人から直接的であれ間接的であれ恩恵を受けているもので、単に見えていない、気か付けていないだけだったりする。もっというと、実は巡り巡る因果なんてものは、そもそもなかったりもするかもしれない。

それが、人と何かを分けあった、共有した、という行為を伴うことで、分けたモノに対して認知のセンサーが敏感になり、今まで見えていなかった他からの恩恵に気がついたり、見えるようになるという認知の仕組みが働いている気がする。

一種のカラーバス効果バーダーマインホフ現象といえよう。(個人的には「白い馬」という言い方がお気に入りである。)

「与える人が与えられる」なんて言葉をよく聞くけれど、そういうことなんじゃないかなぁ。(*´ー`*)

(終)

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