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アルトデウスBCの話をしよう。たっぷりな。

どうもお世話になってます。メンバーが日替わりで記事を書く"gudaguda note week"もいよいよ最終日。8日目の記事は私、Florが担当します。weekだからって7日で終わるとは限らないのです。

昨日の記事はこちら。brがサークルの振り返り(+蒼の彼方のフォーリズムの熱い布教)をしてくれています。


…さて、タイトルにある通り本記事では昨年末に発売されたVRアドベンチャーゲーム『ALTDEUS: Beyond Chronos』の話をしたいと思う。

今年の2月に初めてアルトデウスに出会った私は、寝食を忘れるほどこのゲームに没頭することになった。その頃はまだVRゲームにもADVゲームにも馴染みが薄かったながらも、眼前で壮大な物語が繰り広げられるVRADVの可能性に衝撃を受けたのである。

全てのエンディングを見て放心状態となった私はすぐに感想記事を書こうとしたのだが、筆がクソデカ感情に押し流されてただ怪文書を生産することしかできなかった。

初プレイから半年近くが経過し、他のVRゲームや名作ADVもプレイした今ならば、もっと冷静に作品に向き合えるはずである。あわよくばこの作品の構造を分析し、自作ゲームにも面白さのエッセンスを取り入れてしまいたい。

そんなところで、早速本文に入らせて頂きます。

予め断っておくと本文中で弊サークルの話は一切しません。マジで純粋なオタク語りでサークル企画最終日の枠を埋めるのを許してください。

【ストーリー分析】

細部はぼかしていますが、ゲーム本編のネタバレを含みます。
真っ新な気持ちでゲームに臨みたい方はここで引き返すか、ゲームシステム分析の項まで読み飛ばしてください。


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このゲームを語る上でどうしても避けられないのがその重厚なシナリオだろう。本作品のシナリオはSFアドベンチャーゲームとしても十二分に面白いものであると同時に、改めて分析するとVRという枠組みの長所を引き出す工夫が各所に施されていることが分かるのである。

分析1:プレイヤーと共に前進するキャラクター

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(注釈)
クロエ:主人公。人造人間。
コーコ:死別したクロエの親友。
ノア:コーコの姿を模したAI。
アニマ:コーコの姿によく似たメテオラ(怪物)。
ジュリィ:クロエを造ったマッドサイエンティスト。

アルトデウスでは随所に「人形」のモチーフが見られる。例えばクロエは回想シーンで自身のことをピグマリオン神話に登場する人形に重ね合わせているし、ノアもマキア(巨大ロボ)の起動シークエンスで自身を「電子人形」だと自称している。アニマだって人の形をした非人間という点では人形と言い換えても差し支えなかろう。(こじつけとか言っちゃいけない)

これらの「人形」だったキャラクターが、互いに関わっていく中で人間性を獲得していく様子こそがストーリーの軸だと言える。

(余談)
自らの体をサイボーグ化し200年以上生きているジュリィ博士はシナリオ中でクロエらを人間未満の存在として雑に扱うのが印象的だが、一方でそのジュリィのキャラクターデザインも球体関節人形がモチーフになっているのはなかなか皮肉なものである。200年前に人間性を置きざりにして人形の体を手にしたジュリィと、人形の体を持ちながら人間性を得るクロエ・ノア・アニマの対比が激エモ。

さて、初めてゲームを起動したプレイヤーは何も知らない状態で200年後の渋谷に放り出されることになる。
恋愛ADVなどでは攻略対象の好感度が0の状態からゲームを始めることはままあるが、アルトデウスはむしろその逆で、主人公クロエが他のキャラクターをうっすら嫌った状態からゲームが始まる

思うに、これは何も知らないプレイヤーとプレイヤーキャラクターの間の感情のズレを抑える工夫である。

アルトデウスの前作にあたるVRアドベンチャーゲームの「東京クロノス」では、主人公が旧友と閉鎖空間で再会する…というシチュエーションから物語が始まるが、正直言うと私はこの時主人公との乖離を感じてしまった。いくら誰々はかつての親友である…と字面で説明されたところで、プレイヤー自身にその体験がない以上それは他人にすぎないのだ。そこにはキャラクターの感動の再会に取り残される私がいた。

小説や映画、従来のゲームではプレイヤーとプレイヤーキャラクターの間にいわゆる次元の壁があるために設定の理解や割り切りを自然に行うことができるが、VRゲームでは文字通りプレイヤーとプレイヤーキャラクターが一体化するがために、設定の割り切りをするのがちょっと難しいのである。

このあたりの問題を上手く解消したのがアルトデウスで、プレイヤー・プレイヤーキャラクター共にフラットな感情を持った状態(=「人形」)から物語が始まり、様々な出来事を体験する中でプレイヤーとキャラクターは同じペースで感情を動かされていくのだ。

そしてエンディングに近づくにつれキャラクターは人間性を獲得してゆき、遂にプレイヤーと完全な同期を果たす。シンクロ率が最高になったところでエンディングにトドメの一撃をぶち込まれる…というのがアルトデウスのストーリー構造だ。後には放心状態のプレイヤーだけが残る

(余談)
東京クロノスは初めキャラクターとの感情の擦り合わせが上手く出来なかったとは言ったものの、ゲームを進めるうちにこの違和感は消えたしエンディングではちゃんと泣きそうになりました。こちらも良いゲームです。


分析2:選択と喪失の不可分性

さて、分析1の締めに「エンディングにトドメの一撃をぶち込まれる」と書いたが、アルトデウスのエンディングの破壊力は実際にゲームをプレイした方ならきっと共有できることと思う。私もあるエンディングではHMDを水没させたし、また別のエンディングでは全身の力が抜けてしばらく動くことが出来なかった。

このゲームのエンディングの破壊力をここまで高めているのは何なのかと考えると、やはり選択に伴う喪失にあると感じる。

本作ではどのルートに進んでも喪失を避けることはできない。プレイヤー自身の選択で必ず何かを、誰かを失うのである。

選択と喪失をセットにして差し出す手法自体はアドベンチャーゲームではよく見られるもので、例えば恋愛ADVなどでは誰かと恋愛するために他の誰かのフラグを折る、というプレイが一般的だが、これもある種の選択に伴う喪失といえる。

しかしアルトデウスにおける選択と喪失は、VRゲームの特性を追求した結果従来のADVのそれより一層重いものとなっているのだ。

VRにより強化されるキャラクターの実在感はそれだけ喪失感を高めているし、何より選択肢を単なるカーソルでなく行動で示させるのがエグい。これほど銃の引き金が重いゲームが今まであっただろうか…?

また、そうして絞り出された選択をシナリオは決して否定しない、というのも特筆すべき点だろう。
前作『東京クロノス』では明確なバッドエンドが用意されており、そこでプレイヤーキャラクターは「この選択は正しかったのだろうか?」という独白を行い、プレイヤーの選択を考え直させていた。
東京クロノスに限らず様々なADVゲームでも同様で、バッドエンドに入ったプレイヤーは大抵シナリオやキャラクターにボコボコにされ、その間違った選択を咎められることになる。

一方で『アルトデウス』ではプレイヤーの決断をプレイヤーキャラクターであるクロエは完全に受け入れるのだ。そして分析1で述べたようにエンディングではプレイヤーとクロエの感情は完全に同期しているのだから、これはつまりプレイヤーが自分の選択を肯定することにも繋がる。

まとめると次のようになる。

このゲームでは、
プレイヤーは喪失を伴う苦渋の決断に直面する 一方で、
いざ選択した後は後味の悪さが一切残らない のである。


これは悲劇の肯定とも言い換えることができるだろう。

作中ではしばしばギリシャ神話の悲劇が登場する。例えばコーコがクロエに『ピュラモスとティスベ』を読み聞かせるシーンがある。この話の悲劇的な結果を聞いたクロエは「悲しい話だ」という感想を述べるが、一方でコーコは「悲しくなんかないわ」と悲劇の持つ美しさを肯定する。

このシーン一つを取っても、また物語全体を俯瞰しても、アルトデウスの根底には「悲劇ならではの美しさってあるよね」というメッセージが流れているように思えてならない。気のせいだったらすみません。でも私はこのゲームを遊んでからハッピーエンド厨の考えを改めました。


【ゲームシステム分析】

ここまでは主にアルトデウスの軸であるストーリーに重点を置いて分析(という名の早口オタク語り)をしてきたが、ここからはそうしたストーリーを際立たせるゲームシステムについても触れていきたいと思う。

分析3:プレイヤーとキャラクターの一体感

分析1ではプレイヤーとキャラクターの感情を同期させるストーリー面の工夫を述べたが、ここではVRという表現自体がもたらすプレイヤー・キャラクター間の一体感を再確認したい。

突然だが、かつて鳥山明の担当編集をしていた鳥嶋和彦と佐藤辰男の対談から鳥嶋氏の言葉を引用する。

 ゲームが圧倒的に強いのは、感情移入のテクニックなんですよ。漫画やアニメで一番難しいのは主人公と読者を一体化させることだからね。キャラクターを立てて、主人公を自分だと錯覚させるために、漫画家は本当に沢山のテクニックを使うわけ。
 ところが、ゲームは動かした瞬間に主人公は自分になってしまう。漫画において最も習得が難しいノウハウを、あらかじめクリアできている。これが漫画やアニメと比較したときの、ゲームの凄まじさだよね。「動かしたものが自分になる」という感覚の持つ凄まじさを、今のクリエイターはどのくらい理解できているんだろうと思うよ。

ここでは、感情移入の細かい手順を飛ばして「動かしたものが自分になる」というゲームの特性が取り上げられている。

VRゲームではこの特性がさらに一歩進み、プレイヤーキャラクターはプレイヤーと身体を共有することになる。もはや自分が操作するキャラクターを認識することすらすっ飛ばすことができるのだ。

そうした環境ではプレイヤーとプレイヤーキャラクターの間のノイズを従来のメディアでは不可能なほどに低減できる。VR空間の体験は紛れもなくプレイヤー自身の体験として脳裏に刻み込まれるのである。

前作『東京クロノス』のアドベンチャーパートもこのVRの長所を活かしたゲームだったが、アルトデウスでは前作にもあったアドベンチャーパートに加えて、インタラクティブな巨大ロボ操縦パートやキャラクターによるVRライブなど、様々な形で体験の密度を上げる工夫が施されている。これによりプレイヤーとキャラクターの境界、現実の体験とゲームの体験の境界が一層曖昧になっているのだ。

アルトデウスをOculusQuest2のバッテリーが切れるまで遊び続けた日の晩、夢の中の私は確かに人造人間だったし、マキアのパイロットだったし、延々と苦渋の決断を続けていた。
夢はその日あった出来事の追体験だというから、紛れもなく私の脳はAugmented Tokyoでの出来事と現実の区別がつかなくなっていたのである。

たぶんシナリオがあともう少し長ければ私の人格も影響を受けていたのではないかと思う。アルトデウスBC、なんて恐ろしいゲームなんだ…

分析4:「リブラ」の描写

先ほど分析2で述べたように、アルトデウスのストーリーには選択と喪失の不可分性が如実に現れている。そしてこれはゲームシステムの面にも見ることができる。
例としてリブラの表示を見て頂きたい。

(注釈)
リブラ:作中世界で普及している決断補助AI。ある選択をした時にどのような影響が出るかを教えてくれる。

画像2

どの選択肢を選んでも上昇するパラメータだけでなく下降するパラメータがあることが分かる。すなわち、選択することはリスクを伴う、ということをこの時点ですでに提示されているのである。

このパラメータの数値自体は演出的な飾り(だと思われる)のだが、プレイヤーはこうしたリブラの選択を繰り返すことで、「このゲームでは選択とリスク(=喪失)を分けることはできない」というメッセージを無意識に受け取るのだ。

作中の選択肢は大まかに二分される。一つはこの「リブラ」が提示される選択だ。そしてもう一つ、「リブラ」が提示されず、プレイヤーが自分で判断する必要のある選択も存在する。装置を起動するかしないか?手を取るか取らないか?引き金を引くか引かないか?、というような。

リブラの選択肢はメタ的に見れば従来のアドベンチャーゲームに近い形式の選択肢であり、プレイヤーはUI上に表示されるボタンをクリックすることで自身の意思を提示することになる。
一方でリブラのない選択肢ではプレイヤーはUIという一枚のスクリーンを挟まずに、自らの身体を使って直接的に決断を表す必要が生じるのだ。

雑な例えを挙げるならば、リブラという補助輪によって自転車を漕いでいたプレイヤーは物語のターニングポイントでいきなり補助輪を外され、「サア漕いでみろ」と自分自身の判断を求められるようなものだ。

プレイヤーはリブラを通したここまでのゲームプレイで選択と喪失が分けられないことを肌で感じている。だからこそ、然るべきタイミングの然るべき決断には相応の重みが生まれるのである。

喪失を伴うエンディングをプレイヤーが肯定的に受け止めることが出来るのは、一つに分析2に述べたように悲劇を肯定するシナリオの賜物である。そしてもう一つは、このリブラを補助輪的に用いた秀逸なゲームシステムにあるのではないだろうか。

プレイヤーは失うことを覚悟した上で、自分の中の選択を自らの手で主張したのだ。そこに後悔は生まれないだろう。

あとがき


…いかがでしたか?

というかここまで離脱せずに読んでくれている人がいるのでしょうか。10人はいてくれたらいいな。

客観的な作品分析の体を保つことで怪文書化を避けようと思ったのですが、これはこれで怪文ですね。多分明日読んだら恥ずかしいと思う。
オタクとしてこの世に生を受けたからには、一度は自分の好きなコンテンツを熱く語り倒してみたかったのです。許してくれ~~~

さて、ここまで読んでくださった初見さんは『ぐだぐだぶとん』はアルトデウスオタク語りサークルなのか?と勘違いしてしまうかもしれないので一応普段していることの紹介もさせて頂きます。まあ間違ってはないのですが。

普段はバーチャルSNS上でTRPGを遊ぶ・作る・広める活動をしてます。興味を持ってくれた方がいたら是非上のリンクから詳細を見てもらえるとめちゃくちゃ嬉しいです。

そして本日、エモクロアTRPG用フリーシナリオ『全て忘れてしまえたなら』の第三版が出ました。今日初めてこのサークルを知った!という貴方、今がチャンスですよ!!!!!!!!
既にダウンロードしてくださっている皆様も良ければ更新してみてくださいね!!

それでは長々とありがとうございました。

以上、お相手はFlorでした。


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