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まさちゃん

どーもぐだぐだのぐだです。

今回は番外編です。書いてみたらちと長いかも。

おれの中学時代からの親友であるまさちゃん
運動神経万能で、勉強嫌い、全クラスの体育の授業に参加して帰るというデタラメな男だ。

出会いは小学生の頃だったが、その頃はただの運動神経の良い奴だった。ある日風の噂でまさちゃんのお母さんが離婚して居なくなってしまったと聞いた。
そして中学になって地元の不良とつるむ様になって彼の人生は大きく舵を切ったのだと思う

私と仲良くなって毎日一緒にいたのは中学3年の頃だから1年間と言えばそうなのかもしれないが、かなり濃密な1年だった事もあり、疎遠になってからも生涯の友だと思っている。まさちゃんの親父と兄貴と4人で福井の海へ旅行に出かけたこともある。親父のいない俺は作法がわからず、まさちゃんの親父が注いでくれたビールを飲むのを躊躇っていると叱られた。
今はそれもないかもしれないが、あれは嬉しかったし父親のいないハンデというのはこういう所に現れるんだと感じたのを覚えている。

いつも一緒にいたのだが、大体ゲームやるかカラオケ行くかの2択だった気がする。
ウイイレ7、ダンレボ、モンハン2とかそんなんばっかやってて、対戦ゲームの時は負けたらデコピンだった。これが痛いのなんの。あんさん力が異常だよ。
腕相撲なんか俺の両腕vsまさちゃん利き手で良い勝負なんだ。おれ鍛えてたし結構強いんだけど…あり得るかそんなん。ゴリラだよね。

カラオケは週2で行ってたんじゃないかと思う。大体がまさちゃんの奢りだった。飯もなんもかんもいつも金のない俺はまさちゃんに奢られまくっていた。

他は学校のボス猿が他校と揉めたら助っ人で向かったり、地元の先輩達と遊んだり、まあとにかく一生懸命に遊びまくってた。

通信制の高校にいったまさちゃんだったので、遊ぶ頻度も少しずつ減っていった。
いつの間にやら学校を辞めて塗装の仕事を始めると、夏休み限定で私も1ヶ月間塗装屋で働いた。学校の塗り替えやパチ屋の中塗りだったり、マンションの塗り替えだったりと大変だったが楽しかった。

私は高校に上がってからも1番仲が良いのは?と聞かれるとまさちゃんと言っていた。
まさちゃんは中学時代、持ち前の運動神経から公式野球をやっていたのだが、誰しもがそのまま続けていたらプロになっていた筈だと口を揃えていた。
本人もあのまま野球続けてたら人生違ったんやろなぁ、なんてダサい事を口にするようになっていた。

そんなまさちゃんと私との信頼関係だったのだが、ある出来事を境に距離を置く事になってしまう。

当時、まさちゃんが大麻を吸っている事はなんとなく知っていた。仲の良い先輩がプッシャーをやっていたからだ。
ちなみにプッシャーというのは薬物を売る人達の事を指します。

私もそれくらいまあ良いかと思っていたのだが、久しぶりに会うと部屋が臭いのなんの。大麻の煙を嗅いだことある人なら皆分かると思うけど独特な臭いなんよね。

そうして会う度に知らないワードが彼の口から出てくる様になっていった。
「エス」「たま」「ぱいぷ」などだ。詳しくは知らなくても良いことなのだが、覚醒剤を炙って吸っている事を知った時は絶句した。

「ほんまに。もうここら辺までにしとけ」
「まあ……そやな」
「約束してや、注射だけはせーへんって俺に誓え」
「せーへんせーへんそんなんする訳ないやん」

ホッとしたのを覚えている。
そこからまた暫く会うことが無かったのだが、数ヶ月ぶりに会ってゲームして遊んでた時に、注射痕があるのを見つける。
「は?それなんなん?」「ああ、これ〜」と普通に話す姿を見て私はキレた。自分の言葉はこいつにとってもっと重いものであると信じていた分、勝手にショックを受けた。要は悲しかったのだ。

丁度その頃高校の道徳の授業で、薬物依存に対する授業があったから、私はクラスの子達に薬物がどれだけ身近に手に入るのか、そして薬物が大切に思ってる人や大切に思ってくれている人を傷付けるんだという事を説いたのを覚えている。
皆真面目に聴いてくれていたので、説得力があったのだろうと思う。

まさちゃんは塗装の仕事が厳しくて辞めた後、介護の仕事に就いた。
性に合っていたらしく、やりがいも感じて順調だったのだが、どうにも職場の母体が地元の悪い先輩の親繋がりだとかなんだで、結局地元の悪い先輩連中との縁が切ることが出来なかったのだろう。

それから距離というか溝が出来た訳だが、節目でまさちゃんは連絡をしてきた。

「結婚するから保証人欄に名前書いてくれ」
「離婚したわー」
「再婚するわー」
「子供産まれたわー」
「2人目産まれたわー」
「草吸ってんの嫁にバレたわー」
「またバレて離婚なるかもや」

そんなこんなのあと、今から8年くらい前だろうか
「また草吸ってんのバレた。別居してる、子供に会いたいけど会わせてくれない、久しぶりに会って話聞いてほしい」

と連絡が来た。私は既に上京した後だったが、すぐに地元まで帰って再会を果たした。居酒屋で話を聞くと、嫁さんからは子供らに会いたかったら自分がどうしたらええんか、あんたが1番信頼できる友達に話してみろ」と言われたらしく俺に連絡してきたらしい。

そうか、まさちゃんにとって俺は1番信頼出来る奴なんだなと嬉しくも誇らしかった。言えるだけの言葉は全部言った。自分にしか言えない言葉を探しながら伝えた。そうしてお開きになり、ちゃんと更生して子供たちに会う決意をしているまさちゃんを応援してた。

それがまさちゃんと連絡をとった最後で、その後はおれも忙しくしていたのだけれど、

本当ここ最近、地元の友達から聞いたのだが、去年大麻をグループで栽培していて捕まって実刑をくらったらしい。
どうやら聞くところによるとまさちゃんは巻き込まれたらしいという話ではあったが、そんなもんクソの言い訳の役にも立たねえ。

聞けば関西最大級の大捕物らしく、調べたら名前は出ていないものの、しっかりとニュースになっていた。特段驚きはなかったが、後悔した。

自分がもっと高校生の頃、殴ってでも止めるべきだったし、頼ってきた時にも殴ってあげるべきだったと思って後悔している。なにが親友だ。何が裏切られただと嘆く前に出来ることが沢山あった筈なのに、どうしてしてあげられなかったのかと思う。
まあ、まさちゃんが悪いんだけどさ。やるせないとはこの事だよね。

地元の知り合い達には
出てきたらすぐに連絡をよこす様にと伝えてある。
6年位は出てこられないと思うけど、その頃までにこっちで私が旗揚げしていたら、一緒に何か出来たらなぁとボンヤリ思うけど、子供にはもう会わせてもらえないだろうなぁ。そうなると社会貢献が彼にとっての救いになる気がする。まあ夜は長いんだからゆっくり考えるかね。

明日は職場で1人だけの稼働日
寂しいけれど、歌いながら陽気に仕事に励みますかねー


ほなねー👋

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