お金は未来を生きるもの

税金で7月頃には口座が空になりそうだ。不安と少しの希望がある。

ちょっと前に技術革新によりお金の見方が変わると世間が騒いだ。成金が出てきたり、債務者が出てきたりいろんなニュースが流れた。今もその余波で色々動いているらしい。その時にお金とは何かという話が頻繁になされた。私も仕事柄少しその話し合いに参加することがあった。お金に対する色々な見方のなかにお金は価値の保存だというものがあった。

保存は未来だ。

カルボナーラはベーコンでなくてパンチェッタを使うのが本番の作り方らしい。パンチェッタは高い。小洒落たスーパーのチーズ売り場の横に並ぶようなもので、ベーコンと1.5から2倍くらいの値段がする。家で作れるかと調べてみると2週間くらいかけて作れるらしい。材料も豚バラと少しのハーブと塩と胡椒。手間はかかるけど難しくはなさそうだった。パンチェッタ作りの恩恵は2週間後に現れる。

仕事をすると報酬がもらえる。もちろん税金も取られる。仕事の成果はすぐに出る。私が出せばという但し書き付きになるが、手を動かせば誰かにとっての嬉しいことになる。お金は使う必要がある使わない限り意味のないものとして手元にのこる。この未来の恩恵が私の手の中にある時、この未来はさまざまな可能性を持ち私はその取捨選択を迫られる。パンチェッタを何に使うのかと問われるように、私はお金を何に使うかを問われている。

選択は破棄の裏返しだ。お金を多く持つことは多く破棄することを意味する。だから、お金が嫌いだ。目の前にあることに集中できなくなる。お金があると私はカルボナーラを味わえない。焦がされたベーコンの表面を見ていられない。卵黄が固まらないように強く混ぜながら、ソースのとろみを菜箸で感じられない。それがお金だと思う。

独り身の母を扶養に入れるだとか、ネット回線と電気代を家事按分で少しでも経費にするだとかいろんな税金対策があれど一番の税金対策は売り上げを上げないことだと思っている。花道の師範になればあとは細々と花道と低額所得者としていきたい。

その時には目の前の感覚に集中できるんじゃないかと思う。過去は背負うとしても、未来まで背負って生きたくない。頭を他のものに奪われたくないと思う。

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