或る女によるフェミニズムの雑記
タイトルの通り、つらつらと思ったことを書き散らかしたものでございます。なかなかこういった形式で文章を書く機会がない生活を送っているもので、読みづらい部分等あると思いますが、ご容赦頂き、また最後までお読みいただければ幸いです。
「女性は社会に縛られている」
昨今ツイッターにおいて「女性に自由意志など存在せず、全ては男性社会に強制されてきたものである」という言説がフェミニストを中心に流布されています。
私は関心のある分野を学び、気の合う友人と笑いあい、好きな人と歩み、様々な表現物を楽しんできました。全ては自分自身の意思に頼り選択してきたもので、社会に強制されているのだと騒ぎ立てられたところで、おかしな人が喚いているとしか思えないのです。
フェミニストはフェミニズムに目覚めることにより男性社会より解放され、抑圧に気がつくこと(=自由意志を持つこと)ができたのである、と口を揃えてツイートしていますが、これもまたおかしな話です。上記の発言は裏を返せば、「フェミニズムに目覚めていない女性は未だに男性社会に縛られた自我のない人形である」と言っているのに等しいのです。フェミニストによる女性への侮辱ですね。
フェミニストが好んで使うワードに「名誉男性」というものがあります。フェミニストはフェミニズムにかぶれていない女性は女性として扱わないのです。フェミニズムとはフェミニストのみに権利を与えようというトンデモ思想であることが、ここから窺い知ることができます。
フェミニストはフェミニズムにより自我を持つことができたのです。ようやく芽生えた自我を、一般的な女性がフェミニズムをインストールせずに元から持っていたなどと、到底認めることなどできないのでしょう。
フェミニズムという新たな首輪
上記の発言の通り、一般的な女性が男性社会に繋がれた人形であるならば、フェミニストはフェミニズムという首輪に繋がれた野犬です。この哀れな野犬は首輪に付けられたリードがあまりに長いばかりに、自らは自由であると勘違いをしてしまい、ツイッターで日夜快哉をあげているのです。そうしてこの野犬はタチの悪いことに人語を解して似たような鳴き声を発するものですから、その聞くに堪えない鳴き声を真に受けてしまった企業や団体が被害を被ること多数です。迷惑以外の何物でもありませんが、野犬はさらに増長します。女性の権利が守られた、と得意げに醜い鳴き声を発するのです。
そうして女性に語りかけます。真の自由はこちらだぞ、と優しく、時にはおそらく太古より連綿と受け継がれてきた女性特有の同調圧力を出しながら。
しかし騙されてはいけないのです。声の先に待っているのは人間としての理性を喪失し汚い言葉で他者を貶める野犬と、フェミニズムという新たな首輪です。この首輪に繋がれてしまうと、個を失い、この世に存在する女性=自分という妄想に憑りつかれ、二次元の女性ですら自分と同一視するようになり、果てにはケーキに女性器を見出すようになってしまうのです。女性を性的にまなざすな、とはフェミニストの言ですが、彼女達は全てにエロティシズムを見出さずにはいられなくなってしまう、思春期男子と同じ色眼鏡をかけています。フェミニストになると性欲は負の性欲に変換されてしまい、社会に迷惑をかける形でしか発散できなくなってしまいます。思春期男子の方が性欲を正しい形で発散できている分、健全です。
話がそれてしまいましたが、フェミニズムという思想は令和の時代になりアップデートされ、フェミニストが言うところの男性社会とやらから解放する代償に女性をフェミニズムという首輪で繋いでしまう、という大正・昭和のフェミニストが聞いたら卒倒しそうなものへと変貌してしまったのです。女性はかくあるべし、という型にはまりたくないからこそ平塚らいてうは女性解放運動を行っていたというのに、どうしてこうなった。
フェミニズムと稚拙な他責思考
「タイツの日」にイラストレーターとコラボをしフェミニストが大いに噴き上がりました。その熱量は私がツイッター上で観測を始めてから一番のものだったと思います。
そこでとあるフェミニストがこのようなツイートをしました。
「フェチ絵を描くのが男性だけではない(中略)やはり教育が大切?」
言いたいことは山ほどありますが、まず私は短い人生の中でこれほど傲慢な態度を持つ人間を見たことがありませんでした(一生出会いたくなかった)。よほどフェミニズムに心酔しているのでしょう、女性、いや人間の思考は千差万別であるという世の常識がすっぽりと抜け落ちてしまっているのです。
彼女が言うフェチ絵を描いたり楽しむ女性は透明化されるどころか教育が失敗したとまで言われているのです。これもまたフェミニストによる女性への侮辱ですね。
自身のツイートを読み返せばいかに自分が正しい女性の在り方を押し付けているのか、わかりそうなものですがそれは不可能なのです。なぜなら「フェミニズムは圧倒的に正しく、それに乗らないすべての人間は悪である」と思い込んでいるからです。
そんな彼女達のツイートは他人や社会を罵倒で溢れています。憎くて憎くて仕方ないのでしょう、なにせフェミニズムに出会う前までは自らを縛り付けて自由を奪っていた悪しき社会なのですから。フェミニストは被害者であるため、自省は要らないのです。
書いていてバカらしくなってきました。自由意志のない縛られた社会というのは選択肢すら与えられないものです。現代日本において、人生というのはささいなものから大きなものまで選択の連続です。それでいて選択肢がない、自由がないと宣うのは選択することを放棄した自堕落な人間であるとおもいます。
フェミニストがフェミニズムに出会うまで自我を確立できなかったのは、人生を放棄した怠け者であるからだ、と私は考えます。
だっておかしいでしょう、いい年の大人が人に責任をなすりつけて自身の瑕疵に言及しないのは。
怠け者ゆえに自分で何かをすることができず、自分の尻を他人に拭わせることしかできないのです。
最後に
まず、このような実のないnoteをここまでお読みいただき、ありがとうございました。タイトルにある通り、とある一人の女性からフェミニストはこう見えているのだと公表したいと思い、パソコンへ向かいました。
私はきっとフェミニズムに迎合することは無い、とnoteを書いているうちに改めて確信しました。
野犬だの稚拙だのと散々に書きましたが、正直なところ私は、フェミニストが怖いのです。怒りという感情のみで社会を動かそうとしている彼女達がとても怖い。関わり合いになりたくありません。
それでもTwitterやnoteを書いてフェミニストに抗うのは、彼女達が先導する社会に生きたくないからです。彼女達のツイートはフェミニストに従わないすべてのものへの怨嗟で溢れています。差別的なツイートも多く見受けられます。そんな思想家の作った社会が今より良いなんて到底思えないのです。
フェミニズムの欺瞞に多くの女性が気づき、これ以上フェミニストが増えないことを願います。
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