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泣いた赤ちゃん考察

こんにちは、異端の内科医Dskeことリッチストライクです。
今回は電車の中で泣き出してしまった赤ちゃん
それに対して怒った爺さん
それに対する皆さんの反応について考察してみたいと思います。

良く出くわす光景ですし、話題にも上ることも多いと思いますが皆さんはどう考えられるのでしょう。

爺さんの主張は
「泣いてるのを止めるのが親の役目だ」
「泣き止まないなら降りるべき」
など
擁護派の主張は
「赤ちゃんは泣くのが仕事」
「爺さんだって赤ちゃんの時があっただろ」
「親はそんなこと気にする必要はない」
など

私個人の意見としても
赤ちゃんが泣くのは当然の事であるし、鳴き声が不快に感じる事はないので何も気にする必要はないし、むしろ微笑ましい光景と受け取るのですが、どうやらそうじゃない方もそれなりにいるようです。

多くが私と同意見の中ある美容家?の女性は
こんな意見を私の投稿に書いています。

「言葉の通じない赤ん坊を乗せるのがおかしい」
「赤ん坊を連れて電車に乗るのは日本だけ」
「泣かせないのが親の仕事」
「泣かれて困る場所に連れていく方がおかしい」

まぁまぁ捲し立ててきました。
この方にお子さんがいるのかどうかは不明ですが
Instagramでフォロワーが2.5万もいるそれなりのインフルエンサーのようです。

しかし私から言わせてもらうと「この程度」の事でイライラし、目くじらを立てている時点でだいぶお肌に悪いのではないか?と思ってしまうんですよね。

そして一つずつ発言を解説していきます。
「言葉の通じない赤ん坊」という表現ですね。
これは赤ちゃんは泣く事自体が言葉でありコミュニケーションだと思うのですが、まるで動物を同乗させて大声で吠えているのと同じように見えているのでは?という内容で到底納得出来るものではありません。

「赤ん坊を乗せるのは日本だけ」
これは私は日本から出たことがないので不明ですが
そんなわけないと普通に考えれば思いますがどうなんしょう?

「泣かせないのが親の仕事」
これは「泣くのが赤ちゃんの仕事だよね」というこちらの主張とまともにぶつかってますが、そもそも泣いてる赤ちゃんを泣き止ませる必要がどこにあるのかです。
明らかに何か原因があるならそれを解消する必要が親にはあるとは思いますが、そうでない場合そこまで求めるのは酷ですし、私は別に気にしなければ良いのにと思ってしまうわけです。

ここでひとつ思い出した話があります。
夏から秋に田舎に行って夜になると聞こえる虫の鳴き声は皆さんどう聞こえるでしょうか?
睡眠を整える音楽や副交感神経を整える音楽の中にもこの音色がラインナップされているように一般的には
「心地よい音色」とされているようなのです。

しかし驚いた事にあの音色を心地よいと感じるのは日本人とポリネシアの島々の人達だけらしいのです。
京都に有名な「鈴虫寺」と呼ばれる華厳寺がありますが
外国人にとっては鈴虫の鳴き声は「雑音」にしか聞こえないというのです。
この理由としては日本人は虫の鳴き声を「左脳」で「言語」として聞いているのに対して外国人は「右脳」で「音」として聞いているから?とも言われているようです。言い換えれば日本人は古来から虫の鳴き声を声として捉えてある意味会話をして生きてきた民族ということが言えそうです。その証拠として「虫のしらせ」という言葉がありますね。今では「不吉なしらせ」という意味合いで使われるケースが多いのですが、本来は「自然からの発信」的な意味合いで重要視されていたようです。

現代社会では考えられない話でしょうが、本来人間は自然とも非言語的な会話をして生きてきたということなのかもしれません。

話を戻しますが赤ちゃんの泣き声は虫の鳴き声と比べたら当然人間の声ですし、声として捉えるのが普通だと私は感じます。しかしながらそれを騒音的な扱いをする人間が目立ってきているのは、もしかしたら声ではなく「音」として捉える人が増えてきているのではないか?とも思えてしまいます。本来日本人だけが持っていたはずの能力が科学技術の発展と共に失われているようにも思えます。

と、考えると前述した電車に赤ちゃんを乗せるのは日本だけという意見は意外と本当で、外国では赤ちゃんの泣き声は声ではなく騒音なので皆さん控えているのでしょうかね?

皆さんはどうお考えですか?
御意見いただけたら嬉しいです。

   



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