〇〇党とオールラウンダー

〇〇党という言葉は日常でもよく耳にする。
もともとなかまという意味があり、政党名をはじめ、甘党、辛党という使い方も一般的だ。

将棋においても、指す人それぞれの主力戦法にちなんで○○党という呼び方をされる。
大まかには居飛車党、振り飛車党に分かれるが、さらにその中でも前者からは矢倉党、角換わり党、後者からは三間飛車党、中飛車党などに分類される。
皆さんは何党でおありだろうか。
私の場合はというと、居飛車党ではあるが矢倉、雁木などのじっくりとした将棋は指さず、相掛かりか角換わりの激しい将棋を選ぶので、強いてつけるなら“居飛車急戦党”というのが相応しいか。

この将棋における○○党という呼び方はプロアマ問わず、ざっくりとではあるがその人の棋風、特徴を印象づけるのに便利なものだなと感じる。
リアル対局でも一度指した相手を「○○党の人」というふうに覚えられることも多い気がする。

だいたいのプロ棋士や自分の将棋仲間も上記にあげた○○党というもののどれかにあてはまるのだが、稀にいずれにもあてはまりそうにないタイプの人もいる。
一般的にいうオールラウンダーである。
このオールラウンダーというのはじつにあこがれる。

通常は居飛車、振り飛車問わずあらゆる戦型を指しこなせる人という意味合いで使われることが多い。
プロ棋士で思い浮かべるのは、青嶋未来先生、阿部光瑠先生、黒田尭之先生などが印象として強い。
では居飛車では矢倉、角換わり、雁木、相掛かり、横歩取り、振り飛車でも中飛車から向かい飛車まで全部ハイレベルに指せるのかというとそこまで問われる必要はなく、大まかに各全体の半分ぐらいを指せるだけでもそう呼んで異論はないだろう。
もちろんそのように多くの戦型を指しこなせるだけでも、対戦相手にとってその人が何で戦ってくるかこの上なく的を絞りづらく、研究で負かされることも少なくなり、かなりの強みになるだろう。

だが私が本当にあこがれるオールラウンダーというのは、指しこなせる戦型の幅に関してというよりも、各戦型を指し進めるなかで起こりうるさまざまな局面にうまく順応して変幻自在に良い手を指せる人という意味合いが強い。

私個人の話になるが、居飛車、振り飛車を同じくらいの比率で指していた時期があり、それなりに定跡も身につけていたつもりではあるのだが、振り飛車で戦った際に中終盤の難解な局面でいったん丁寧に受けておかなければならないところで攻め合いに出てしまい、気がついたら挽回不可能な形勢になっていたというパターンがよくあった。
(結局自分の棋風、言い方をかえれば良くない癖を直しきれず振り飛車をほとんど指さなくなった)
一概にはいえないが、振り飛車を指しこなすにあたっては受けが強くなければならないと個人的に強く思うところがあり、攻めにいきたい気持ちをぐっとこらえて粘り強く倒れないように指すことが求められる。
振り飛車党の人の将棋を見ていると、よくここまで辛抱できるなぁとか最強に手厚いなぁと感心させられることも多い。

そういった意味で、相居飛車の攻め合いの将棋では終盤の一手争いを正確に指せたり、振り飛車戦ではとにかく粘り強く息長く指せたり、他にも見慣れない内容の将棋になった場合でも、その時々で自分の棋風や感情に左右されず冷静に良い手を積み重ねることのできる、真のオールラウンダーというのは理想の境地である。

プロ棋士でいえばやはり羽生先生が筆頭かなと思う。
最近でこそ居飛車がほとんどであるが、好奇心をもって多くの将棋を実践し相手の得意形に堂々と立ち向かわれるというところも強さの証だ。
将棋の強さというのは人それぞれちがうもので持ち味ともいえるが、羽生先生の強さは長いプロ棋界の歴史のなかでも唯一無二だろう。

そんなわけでオールラウンダーに対しては特別な思いがある。
しかし、そうはいったもののアマチュアの将棋指しがそのような理想の境地にたどり着くなんてことは無理な話だし、それに近づこうとするのもちょっとちがうのかなと思う。

個人的にアマチュアとしては、強くなるのももちろん望むことだけれど、何より優先したいのは純粋に将棋を楽しむことだ。私は無理にオールラウンダーに近づこうと万能な強さを追い求めて努力することよりも、それぞれのペースで自分らしい将棋を“育てる”ことを大事にするべきかなと思う。
それが個性も生きていちばん楽しめるだろうし、長く続けていけるだろうから。

そのために今後も自分にとって役に立つ勉強をしたり実戦を繰り返したりしながら、マイペースに将棋と携わっていけたらなと思う。

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