あこがれと現実

あこがれの念というのは誰にもあるものだろう。

身近な例としてはスポーツがわかりやすいだろうか。
小さいころに習い事や部活動で何かスポーツをやっていたら、水泳や陸上でずば抜けて記録の良い人がいたり、サッカーやバスケットボールで華麗な技を決められる人がいたり、さまざまな理由で誰かに対してあこがれの気持ちをもった経験はあるのではないか。

もちろんスポーツだけでなく、勉強でもそうだし、音楽や美術においても直感的に「かっこいい」とか「美しい」と感じたことに対しては自分にもそのような力や技術がほしいと思い努力をするものだ。

将棋においてもそれなりに長く続けていたら、誰かプロの先生のファンになったり、こんな将棋を指せるようになりたいと思えるようになるだろう。

私自身の話をすると、現在は居飛車党であるが将棋を始めたころから振り飛車党トッププロの久保利明九段のファンであり、人柄もさることながらその軽快な振り飛車、華麗なさばきというものに魅せられてよく観戦したり棋譜並べをしたりした。(同じようなファンは多いと思う)
久保先生のファンになったのは将棋を始めたころNHKの将棋講座を担当されていたのがきっかけである。

当時はまだ基本観る将だったし指す機会がほとんどなかったが、父親とは下手な振り飛車を数局指していた記憶はある。
だから最初は詳しい序盤の定跡というか指し方は振り飛車しか知らなかった。
そのうち対抗形の居飛車は少しできるようになったものの、指す将になるまではほとんど対抗形か相振り飛車しかできなかった。

以下はその後の私の将棋経歴の話になる。

指す将になってからも振り飛車党時代が少しあり石田流や中飛車を多用していたが、序盤の無知も重なりはじめは将棋ウォーズでは3,4割程度しか勝てなかった。
そんななかいろんな戦型にも興味が湧き、棋書やネット動画などを参考にしながら角換わり、横歩取り、左美濃急戦といった相居飛車の将棋も少しずつ覚え、気がつけば居飛車の方が多く指すようになった。
だんだんと自分に合ってきたのかしだいに通算5割近く勝てるようになり、得意戦法も居飛車になった。
その後もともと指していた中飛車なども採用しながら居飛車・振り飛車半々ぐらいで指すようになるも、再び居飛車一本に変えてから勝率が一気に上がったことがきっかけで(そのころ三段に上がる)純粋居飛車党となった。
以後は基本的に方向性は変えず、再び振り飛車も興味本位で勉強し実戦で連投した時期もあったがやはりあまり勝てず、結果9割以上居飛車を指すという現在のスタイルに落ち着いた。(持ち時間や対戦レベルしだいだが今では平均6割ぐらいは勝てる)

この事実に対しては自分としても意外といえば意外なのだが、今となっては自分には居飛車の方が断然勝ちやすいし日常となっている。

要因としては居飛車の方が自分の攻めの棋風に合っており、終盤においても速度争いの得意な展開になりやすいためだと思う。
逆に振り飛車を指すと、一方的に攻め勝てることもあったが、受けが要される場面でよく間違え負けることが多かった。
単に経験が足りないだけかもしれないが、どうも自分好みの展開ではなく無理にやる必要はないと思うようになってしまったのだ。

これは実戦を数多く経験しなければわからないことであり、不思議な印象もあるが、そうした“傾向”を掴めたことで結果的には満足している。

結局何がいいたいのかというと、あこがれたものと自分に合ったものというのは必ずしも一致しないということだ。
それはプロの世界でもありうる話で、振り飛車党から居飛車党に転向、また稀だがその逆のかたちでモデルチェンジをされて成績が上がった先生方が何人もおられる。
最終的には自分の理想を追い続けるのか、現実として勝つことを目指すのか、何を優先するかで決まる話ではあるが、アマチュアで長く将棋を指してきたのに思うように強くなれず悩んでいる人がいるとしたら、私個人的にはその人の戦法やスタイルがはたして自分に合っているのか、一度疑ってみることを勧めたいと思う。

もちろん将棋に充てられる時間は限られているし、今まで積み重ねてきたものを一度崩す(将棋に関しては崩れるものではないが)のは気が引けるだろうが、他のいろんな戦法も棋譜並べなどで少しずつかじってみて戦法ごとにある手筋を覚えたり勝ちパターンを知ったりするのも有効かなと思う。
もしかしたらそれが自分の感覚に合って実戦でも使いこなせるということもあるかもしれない。

いずれにしても将棋は勝つことでモチベーションになるし、勝てるようになることは理解することと同義かなと思う。
楽しみ方は人それぞれであるが、将棋もまたあらゆる芸術のように幅広くその世界を知ることで視野が広がり、面白さが増していくものだと考えている。

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