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ヘーゲル:法の哲学「ミネルヴァの梟」とは

哲学者ヘーゲルの「ミネルヴァの梟(フクロウ)」「法の哲学」の序言の最後に掲載されています。

ミネルヴァ」とは、ギリシャ神話のオリンポス12神の女神「アテナ」のラテン語・英語名。アテナは「賢さ」の象徴で、夜も昼も全てお見通しのフクロウは叡智の象徴としてアテナの聖なる動物。

そして古代ポリス、アテネの守護神でもあるアテナに捧げられた神殿がパルテノン神殿。パルテノンの語源となったパルテノスは「処女」の意味で、アテナ(ミネルヴァ)のことだそうです(世界一よくわかる!ギリシャ神話キャラクター事典より)。

さて本題「ヘーゲル全集」法の哲学(上巻)より

ヘーゲル曰く

なお、世界がいかにあるべきであるかの教訓を語ることについていえば、そもそも哲学は常に来訪が遅すぎるのである。現実がその形成過程を終え、自己を完成させてしまった後になって、初めて、哲学が世界についての思想として時間の中に現れるのである。このことは概念が教えるところでもあるが、また必ず歴史が示すところでもあって、現実が成熟する中で、初めて理念的なものが実在的なものに対する形で現れ、そしてこの理念的なものがこの世界を実体において把握し、これを治世の王国の形態へと形成するのである。哲学が自らの灰色を灰色で描くとき、生の形態は若返らず、単に認識されるに過ぎない。ミネルヴァの梟は、日の暮れ始めた夕暮れとともに、はじめてその飛翔を始めるのである(22頁)。

この文脈から解釈すると、ヘーゲルが言いたかったのは「評価は後世の歴史家に任せるべき」という、政治家がよく使う言葉に近いニュアンスではないかと思います。

物事を第三者的に、一歩離れた立場からみるためには、ある程度の時間をおいて、しっかりその物事が固まってからでないと、物事のより説得力のある評価や判断はできません。

物事が発展段階というか動いた状態のまま、その物事を評価するにはヘーゲル自身、白か黒かはっきりしていないという意味で「灰色」と表現。

日の暮れ始めた夕暮れとともに「知性」は空を飛翔し「果たしてこの1日はどんな1日だったのだろう」と頭を巡らせるのでしょう。

「そしてまた新しい1日がやってくる」というように発展の概念を「切れ目なく」ではなく「段階的に」時間と共に発展していく、というヘーゲルらしい弁証法的「動的な概念」が、この言葉にもよく表れていると思います。

ちなみに本書の訳註では

哲学が一時代の終わりにその時代の精神を総括する形で登場することと、フクロウが夜になって活動するということとが重ね合わされている(259頁)

と解釈しています。

*写真:那須どうぶつ王国 ミミズク(耳がない梟がミミズクで同じ仲間です)

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