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現象学における最も大切なワード「間主観的確信」

所詮人間は自分の外に出ることはできないので、自分の視点から、個々の他の人がこう確信しているという確信を確信していく、これが間主観的確信で、普遍的確信につながっていくものだ。

例えば、キリスト教福音派の人々は、彼らの間で「人工中絶は悪」という間主観的確信を持っている。

阪神ファンの人たちは、阪神ファンの間で「阪神の勝利=喜び」という間主観的確信を持っている。

近代の最大の発見とも言える科学的思考に基づく仮説(例えば1+1=2など)は、この間主観的確信によって、普遍的確信となっている。これを一般に「客観」と呼ぶ。

しかしながらここで重要なのは、間主観的確信という概念が、全ては個人の視点からの確信であって、絶対真理ではないということ。

これは普遍的確信も同じことで「1+1=2」は誰から見てもそうとしか思えないことではある(=普遍的確信)ではあるものの、所詮人間は自分の外には出られないので絶対的真理かどうかは、原理的な証明はできない。でも自分(=現存在)から見ると、自分はもちろん、間違いなく全ての人が「1+1=2」だと確信しているということなのだ。

だから、間主観的確信は、普遍的確信の段階はもちろん、共同的確信においてもその確信の構造を表しており、これは現象学ならではの「革命」的概念で、この感覚を掴むと現象学の視点も大幅理解したことになると思う。

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