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「ハワイイ紀行」池澤夏樹著 書評

<概要>

「ハワイ」を「ハワイイ」と先住民本来の呼び方でタイトルとしている。ハワイイの歴史、気候、動植物、地形、活火山、先住民の文化様式(言語、フラ、レイなど)、サーフィン・ウインドサーフィンの伝説、などなど、観光としてのハワイ以外のあらゆるハワイイに関する内容を網羅的に紹介した紀行文。

<コメント>

9年前の初ハワイイの時に読んだ書籍ですが、今回改めて再読してみました。それにしても圧倒的な(観光以外の)ハワイイに関する情報量で、いまだその内容は色褪せていないと思います。

前回紹介したように

ハワイイ諸島は大きく八つの島で成り立っていますが、太平洋プレート下にあるホットスポット(北緯19度・西経155度付近)から溢れ出るマグマによって誕生した島々は、北北西に進む太平洋プレートに沿って、段々と古くなっていきます。したがって最新の島はハワイイ島(ビッグアイランド)で、最古の島はニイハウ島(もっと古い島はミッドウェイ・・・)。

島は、時間が経てば経つほど風雨によって風化・侵食されるため、おおよそ最新の島(ハワイイ島標高4205m)が一番高く、最古の島(ニイハウ島標高381m)が一番標高が低い島となります(大陸の山でも同じです)。加えて北西に進むにつれて沈降してるらしく、最終的には海の中に沈んでいきます。

以下、ハワイイの島々に関する興味深い本書のエピソードについて紹介。

■禁断の島「ニイハウ島」

ハワイイ諸島の中で最も古い島ニイハウ島。「ニイハウ島全体がロビンソン家所有の私有地」だというのは有名ですが、

ただ所有してるだけでなく、ハワイイ人を住ませて、島の中で通用する言葉もハワイイ語のみ、昔ながらの暮らしぶりを守っている。

*島民には島を出ていく自由はあるが、数週間以内に戻らないと島に住む権利を失う。カウアイの高校に進学する子供たちの場合は卒業してから島に戻ることもできる。そして外の世界を知った大半の子供たちがやはりニイハウ島に戻るという。

本書123−124頁

著者はニイハウ島には行きませんでしたが、実際にこの伝説のロビンソン家に直接会って取材しているのです。著者が実際に会ったのは今のロビンソン家当主の弟キース・ロビンソン。

ある意味で彼は古きよきアメリカの農夫の典型である。思想的には保守派、神を信じ、大地の力を信じているが、政府と税金と委員会は徹底して信じない。そして、自分の思想を言葉ではなく行動で表現している。

本書128頁

キースによると、ロビンソン家はニイハウ島での牧畜でなんとか利益を出し、その利益で、ハオレ(=西洋人)がやってくる前のハワイイ本来の文化や自然を守っているのだと言います。隣のカウアイ島でもロビンソン家は膨大な土地を所有しており、キース自身はその土地でハワイ本来の植物相を復活させるべく、日々取り組んでいるのです。

実際、我々が観光で訪れるオアフ島などで目にする植生は、そのほとんどが外来種です。ハワイイ固有種は外来種に駆逐されてしまってほとんど我々の目につくことはありません。

ハワイイ本来の植物は山の上の方に追いやられ、細々と暮らしているという。ハワイイ諸島にもともとあった植物は1,295種。そのうちハワイイにしかないいわゆる固有種は1,151種。そのなかで絶滅したものが108種、植物園でかろうじて生きているものが4種、野生には1株しかないというものが9種、10株未満が48種、10株以上100株未満が106種。

本書106頁

なので、ロビンソン家がその膨大な私有地を活用して本来のハワイイの自然の姿を復元しようとしているのです。

著者は、いわゆる大土地所有者に対しては否定的ですが、ロビンソン家に限っては

この土地が彼のものであるのは良いことだと思った

本書132頁

と「第3章:秘密の花園」中で述べています。

■世界一の降雨量「カウアイ島」

まさかハワイイの隅っこのこんな小さな島が世界一雨が降る地域だとは驚きです。ハワイ諸島の自然史を知るにはもってこいの島だとオアフ島ビショップ博物館の昆虫学者スティーヴン・モンゴメリーに連れられて著者はカウアイ島に向かいます。

カウアイ島はハワイイ諸島の中でも2番目に古い島なので、風化・侵食によって山は削られ、深い峡谷が生まれ、ハワイイのグランドキャニオンと言われるワイメア・キャニオンという谷を形成しています。

そして世界一降雨量が多いというのがカウアイ島のワイアレアレという山(標高1600m弱)。アメリカの資源局が何度も雨量計を持ってきて測定してはリミットオーバーしてしまい、使い物にならなかったといいます。最終的に25,100mmまで測れる雨量計を設置し、なんと山頂の年間降水量は12,344mm。ちなみに東京は同1,600mmだから、いかに雨が多いかがわかると思います。

■ハンセン病患者の施設があった「モロカイ島」

日本にも岡山県の長島や香川県の大島など、ハンセン病の患者を隔離するための「島」が存在していました。モロカイ島は観光産業とはほとんど縁がなく、人もほとんど住んでいない島。

ハワイイ諸島でもモロカイ島のカラウパパ半島に、ハンセン病患者を強制的に隔離した施設があったのです。

ハンセン病ないしそれとおぼしき皮膚疾患の患者はハワイイ社会から放逐された。疑わしい者は身柄を拘束され、カラウパパ半島の沖まで舟で連れてこられて海中に投じられた。

本書33頁

19世紀後半にベルギー人のダミアン神父(1840ー1889)は、カラウパパ半島に赴任し半島に置き去りにされた患者たちの援助活動を行い、身を挺して世話をしたといいます。

この結果、彼自身もハンセン病に感染し、49歳で亡くなってしまいます。今はこのエリアは国立公園として運営され、今でもダミアン神父たちの活動の軌跡を見ることができるそう。

■島全体がパイナップル畑だった「ラナイ島」

かつてドール社が所有し、島全体がパイナップル畑だったというラナイ島。ジェイムズ・D・ドールは、1922年に110万ドルでボールドウインという宣教師から島のほとんどの土地を購入。

松ぼっくりに形が似ているところから松の林檎(パイン・アップル)と呼ばれることになったこの奇妙な果物をシロップ漬けの缶詰にして売る。これは20世紀のアメリカを象徴する商品になった。

本書429頁

やがてコスト面で東南アジア産に勝てなくなって以降、畑は荒廃し、著者が訪れた時はパイナップル畑は見当たらず。ただただ荒れた土地が大地を埋め、一部土地に「ロッジ・アット・コアレ」という高級リゾートが存在。

*今は島に超高級リゾート「フォーシーズンズ」があります。

*ちなみにドール社のパイナップルは今はフィリピンで生産しているらしい。

■最も不運な島「カホオラウェ島」

著者がハワイ諸島の中で最も不運な島と呼んだカホオラウェ島。マウイ島に遮られて雨はほとんど降らない不毛の島。したがって人もほとんど住んだことがない。

今世紀になって牧畜が試みられたらしいが、この牧場主はなぜか急に愛国心に目覚め、島の南の海岸を射撃用の土地としてアメリカ海軍に提供したらしい。これがきっかけとなって太平洋戦争開戦以降、島全体をアメリカ海軍が収用。

以後50年以上アメリカ海軍はこの小さな島にひたすら砲弾と爆弾の雨を降らせ続けました。

1970年代以降ハワイ先住民を中心に返還運動が起き、1994年5月、裁判所は返還を認めます。以後海軍は不発弾等を撤去する義務が発生しましたが、期限が設けられなかったため、未だ誰も上陸できない不運な島となってしまったのです。

最後に著者は、

ハワイイという太平洋のど真ん中にある絶海の孤島でも、1000年以上人間はちゃんと生きていくことができると証明しているのに、今の時代になぜそれがうまくいかないのか?

と問い、それについて考えるためにもハワイイ諸島とそこの人々を見ることには意義があるといっていますが、個人的には純粋に観光を楽しみつつ、ハワイイの文化や歴史にちょっとだけでも触れてみれば、きっとその旅は忘れられない旅になるのでは、と思います。

*写真:ハワイイ島アカカの滝(2022年7月撮影)










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