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国家を持たない人びと「自由の命運」より

「反穀物の人類史」の主役、国家を持たない人びと(=狭義の野蛮人+未開人)のうち、「未開人」に関しては、「自由の命運」で「不在のリヴァイアサン」の事例の一つとして紹介されています。

⒈不在のリヴァイアサン

「不在のリヴァイアサン」とは社会を統制する「リヴァイアサン=政治権力」が不在、仮にあったとしてもほとんど機能していない国家。

当該エリア内の共同体を仕切っているのは各種部族や宗教団体で、社会規範(著者のいう「規範の檻」)が共同体のルールとして絶対なので、国家を形成して自由の実現と経済成長を促そうというインセンティブが働きません。

不在のリヴァイアサンは、歴史的にはイスラム以前のアラブ世界、西欧列強に侵略される前のサブサハラ(サハラ砂漠の南にあるアフリカ諸国のこと)やハワイなどに多くみられ、現在では中東のレバノン。

⒉西欧列強が蹂躙する前のサブサハラ

現在のサブサハラの多くの国家は、過去に紹介したような「張り子のリヴァイアサン」ですが、

西欧列強が蹂躙するまでの過去のサブサハラは、各部族が支配した、国家が形成されない「不在のリヴァイアサン」。

(1)ナイジェリアの部族:ティブ

ナイジェリアのティブという出自を同じにする血縁集団を事例に紹介。「出る杭は打たれる」というように、規範の檻でがんじがらめにされた部族を越えてリヴァイアサンを生み出そうとする動きがあれば、たちまちにして部族の掟(=規範)に潰されてしまいます。

ティブ社会の力の源泉は、あらゆる形態の政治的階級を狙い撃ちにする規範にあった。そうした規範は、国家なき状況を維持する強力な手段になる。なぜなら集合行為問題を解決するのに役立つし、優位に立つために過剰な力を手に入れつつある者たちに身の程を知らせるための組織化を促すからだ。

本書第2章

一方で国家形成を阻む血縁集団は、メンバーたちの安全と生きる糧を守ります。

国家なき社会にも、より多くの影響力や富、人脈、権威を持つ人々はいる。アフリカでは、それはたいてい首長か、親族集団の最年長者である長老だった。タカ(盗賊やマフィアなど反社勢力のこと)を避ける為には首長や長老らの庇護を受ける必要があり、また身を守るには人が多い方が良いため、人々は親族集団や出自集団に身を寄せた。

同上

しかし血縁集団では、資本を蓄積するインセンティヴは働かない。

ティヴ社会の制度は、掘り棒などの単純な道具や食品加工の道具という形態のものを除けば、資本を蓄積するインセンティヴをほとんど生まなかった。実際、ただ貯蓄するだけでも邪悪なツアヴ(を持っているとして告発されることがあったため、報復の恐れのせいで蓄積は危険になった。

同上

(2)ザンビアの部族:トンガ

規範の檻は、宗教の経典と同様、絶対の価値観なので、この価値観にそぐわない価値観は排除され、メンバーに自由が生まれることはありません。そして経済的にも資本の蓄積を許すことがないために、経済的豊かさも享受できない。アフリカのザンビア南部に住むトンガという部族の場合

トンガの社会では、規範の檻に支配されたほかの多くの経済と同様、増えた分の生産物は人に与えなけれなならない。そうしたいから与えるのではなく、規範に反した場合に受けるかもしれない社会的報復や暴力を恐れるからだ。・・・その結果、社会は食べていけるだけしか作物を作らなくなり、ありとあらゆる経済不調や災難の影響に晒されやすくなった。

同上

この結果、社会は食べていけるだけの作物しか生産しない(=余剰農産物を生まない)ので、貯蔵という概念が生まれません。

貯蔵ができないということは不平等が生まれない代わりに、その日暮らし状態となって、天候不順に見舞われれば、あっという間に飢餓に襲われ、経済的自由はいつまでたっても実現しないといいます。

そして共同体内の掟が、なぜ厳密に守られているかといえば、思いやりやおもてなしの精神などではなく、掟を破った場合の暴力や社会的排斥(日本でいう村八分)を回避するため。

著者によれば、なぜこの種の掟が多くの不在のリヴァイアサンで発達してきたかといえば、こうした掟が弱いと、階層が生まれ、共同体が崩壊してしまうから。共同体を維持していくためには、その日暮らしの結果平等に甘んじるしかないのです。

例えば、現代に生きる狩猟採集民ボルネオの「プナン」も誰もが余分に取らない公平の概念によって共同体が保持されています。

一方で「反穀物の人類史」によれば、余剰農産物は定住社会において、気候変動にともなう食糧危機により、支配者が誕生して余剰農産物が生まれる、ということ(この結果不平等が誕生)。

そもそも余剰農産物については、移動ばかりの狩猟採集社会では「狩猟採集によって食糧が余ったとしても貯蔵する手段がなかった」し、余剰を確保する理由もありません

どちらにせよ狩猟採集社会では、余剰農産物は無用の長物だったのでしょう。

*写真:ザンビア「ビクトリアの滝」(2009年撮影)

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