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ホモ・サピエンス全史と脳科学

ホモ・サピエンス全史(ノヴァル・ユア・ハラリ著)における最も重要な概念は「認知革命」によって形成された「虚構」ではないかと思う。

「認知革命とは7万年前から3万年前にかけてみられた新しい思考と意思疎通の方法のこと。遺伝子に突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり全く新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になる(ホモ・サピエンス全史、第2章)」

「認知革命によって高度な言語を発明し、虚構すなわち架空の事物について語る能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている(同)」

「ホモ・サピエンスはどうやってこの重大な限界を乗り越え、何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろう?おそらく、虚構の登場にある。厖大な数の見知らぬ人どうしでも、共通の神話を信じることによって首尾よく協力できるのだ(同)」

原始的社会では構成する共同体としては150人が限界らしいが、文明社会は、共通の虚構=価値観を共有することによって「何が良くて何が悪いのか」「何が正しくて何が間違っているのか」の共通了解が可能になったのだ。

例えば現代日本人の場合、基本的人権の尊重や民主主義、宗教・思想や表現の自由など、日本国憲法レベルの基本的な近代市民社会としての価値観は共通理解として共有しているが、更にその先の宗教や思想、政治信条などの価値観については、それぞれの個人の自由であり、種々多様な考え方が百花騒乱。つまり、近代市民社会の原理がベースになっていてその先の虚構は自由という「虚構の2段構造」になっている。

以下「社会の虚構」を前提に「個人の虚構」があるというイメージ
「社会の虚構」=近代市民社会の思想に基づく虚構
「個人の虚構」=個人単位・生活単位で各人各様の虚構

脳神経学の成果によれば「虚構」を作る習性をホモ・サピエンスという生き物が持っていて、そもそも「虚構」をもつのはホモ・サピエンスとしての生物学的な習性だという。

マイケル・J・リンデン(神経科学者)曰く、
人間の抽象的能力や言語を司るのは左脳。左脳は、進化により首尾一貫した破綻のない物語(虚構)を作り上げる事に適応している。この「物語作り」の性癖は、宗教的観念が生み出される原因の一つになっている(「脳はいい加減にできている第8章脳と宗教」より)。

との通り、人間は「虚構なしでは生きられない」というよりも「虚構を作って生きる」のが人間だという事。

(このブログ記事も私が人間として、人間が「虚構」を持たざるを得ない性癖を持っているがゆえに歴史学&自然科学という「虚構」を使ってここでこうやって作成しているわけです)

したがって、人間は良くも悪くも何らかの虚構を持っているわけであって、特に「個人の虚構」の場合、信仰を持っている人は信仰する宗教がその虚構になるわけですが、信仰を持たない大多数の日本人の虚構は、どんな虚構を持って生きているかというと、それぞれの属する共同体の虚構に寄り添っている人が多いのではないか。

それは家族間で共有しているものだったり、それぞれの企業や地方公共団体の中のものだったり。

例えば民間企業であれば、ハラリ氏のいう「法人」という虚構の元に「社風」という暗黙知的な虚構があって、みんなこの虚構=価値観に基づく共通理解の中で大半の時間を費やしている。特に日本の旧来型終身雇用の企業では、新卒採用から始まって定年まで40年間どっぷり「社風」という「虚構」の価値観を内面化して生きていくので、会社での人間関係がうまくいかなくなると途端にメンタルヘルスに支障をきたすことになる。

生物学的な習性としてホモ・サピエンスは虚構を持って生きざるを得ないわけだが、私の場合は30年間どっぷり会社生活に浸かりつつ、家族間やお付き合いしている人間関係間の価値観を共有するものはあるものの、そもそも『どのような価値観が一番ロジック的に進んでいるのか』という虚構を欲していて「常にこの虚構をアップデートしてより説得力のあるものにしていきたい」→「より納得性の高い判断をしたい」というのが自分の求める知的欲求になっている。

*ギリシア エーゲ海 サントリーニ島より

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