「アフリカの風土」アフリカの宿痾とは?
社会起業家、平原依文がクーリエ・ジャポン「今月の本棚」で紹介している『国際紛争を読み解く五つの視座「戦争の構造」』の中にアフリカに関する項目があったので、さっそく拝読させていただきました。
やはり、著者の篠田英明のアフリカに対する考察は、私がこれまでアフリカ関連の著作や実際に訪問して感じた印象と同じものでした。
それは「アフリカの宿痾」です。
⒈サッカー各国代表の伸び悩みが象徴するアフリカの宿痾
黒人系サッカー選手は、各国代表の貴重な戦力。
現代においてもフランス代表エンバペ、デンベレ、ブラジル代表ビニシウスやロドリゴ、イングランド代表ベリンガム、ラシュフォードや、オランダ代表ファン・ダイクなど、アフリカにルーツを持つ黒人系スーパースターは目白押しで、クラブレベルでのタイトルも多数。
ところが、アフリカ各国代表の黒人系選手は、前回紹介したヨーロッパ出身の選手を除くとカメルーン代表オナナ、セネガル代表マネ、ナイジェリア代表オシムヘン、コートジボワール代表ケシエなどで、ちょっと見劣り。各国代表のW杯成績も欧州・中南米の代表に比して相当に見劣りします。
年齢詐称で金メダルが取れる五輪代表(原則23歳以下の選手限定)はともかく、フル代表ではW杯でベスト4まで進めた国は一つもありません(アラブ系のモロッコ除く)。
それではなぜアフリカ各国代表が伸び悩んでいるのか?その理由が「アフリカの宿痾」なのです。
アフリカの宿痾とは何でしょう?それは「私利私欲を貪る現地支配層の存在」です。
アフリカサッカー界も同様で各国協会を運営している理事などは、その多くがFIFAなどから賞金や運営資金を得るとみんな自分の懐に入れてしまうのです。
なので国に貢献しようとヨーロッパで活躍する選手が代表に参加しても運営資金が足りず、ろくに練習もできないことが多い。
仮にタイトルを取ってもその賞金が選手たちに渡らず、協会のトップたちがみんな懐に入れてしまうから、代表辞退する選手も多かったのです。実際協会職員の給与未払いは頻繁に起こるらしい。
こんな状況ですから国の育成も十分に資金が行き渡らず、本来はもっと有望な選手たちがアフリカ各国で育ってもいいはずなのに、そうはならないのです。
⒉アフリカの独立とは、支配層が宗主国から現地既得権益者に切り替わっただけ
1960年はアフリカの年と言われ、多くの国が英仏などの旧宗主国から独立した年ですが、その実態の植民地の統治機構はそのままに、宗主国の支配者から、現地の既得権益支配層に切り替わっただけ。
したがって一般庶民からみると、支配者の肌の色が白から黒に変わっただけで、その搾取の構造は、何ら変わらなかったのです。
さらにコンゴ民主共和国(旧ザイール)などは、現地の既得権益者の能力が旧宗主国のそれと違って極端に低かったために、独立によって逆に一般庶民がさらに困窮してしまう。そして内紛が起こる、という悲惨な事態に。
アメリカとソ連を中心に対立していた東西冷戦時代は、東側に与するか、西側に与するか、各国の支配層が分断して内紛を展開。いわゆる代理戦争というヤツです。
このような状況を、日本国内有数のアフリカ研究者、武内信一(1962~)は「ポストコロニアル家産制国家(PCPS)と呼んだらしい。
⒊宿痾の事例「破綻国家 ジンバブエ」
ジンバブエという国が南部アフリカにあります。ジンバブエは南アフリカと同様の旧イギリス領。
1965年に白人支配層が独立宣言して「ローデシア共和国」を名乗ったのですが、国際社会に認められず、その後、黒人主導による内戦が起こって和平が成立し、黒人支配層による国家「ジンバブエ共和国」が1980年に成立。
この黒人支配層(ムガベを中心とする政党ZANU-PF)というのが、他アフリカ諸国と同様の典型的な「アフリカの宿痾」だったのです。
ジンバブエでは、400年ぐらい前に入植した白人大農場主が、高効率の農業を経営しており、アフリカでも指折りの穀倉地帯だったのですが、2000年にムガベが白人大農場主から土地を黒人農業従事者に分け与える政策を導入。
戦後日本の農地改革みたいな政策なんですが、その土地を引き継いだのが、農業のわからないムガベ率いる与党ZANU-PFの縁故の人たちだったのです。
前回紹介した『サッカーと独裁者』著者、ブルームフィールドが、サイス・デ・フリエスという白人農業生産者に話を直接取材。フリエスは先祖が1600年代にアフリカ南部にやってきたオランダ人入植者。
彼はワンゲ国立公園に所有していた2万ヘクタールの土地を強制収容され、土地は産業相の義弟と州知事に与えられたとのこと。通告され、家を出ていくまでにたった6時間しか与えられなかったという。
このような結果、アフリカ有数の穀倉地帯だったジンバブエの農業は崩壊し,
輸出は落ち込み、外貨不足を招いて経済も急激に悪化。
GDPは、2000年の113億USドルから2008年にはハイパーインフレを伴って、同67億USドルまで落ち込むなど、経済全体も崩壊状態。
その後はムガベも退陣し、豊富な資源(世界一埋蔵量の白金、金、ダイヤモンド、ニッケルなど多数)の価格上昇があり、主に中国が輸出先となって経済は急激に回復。2022年には315億USドルにまで成長し、白人大農場主への補償金返還も2020年に一部実施されたらしい(AFPニュース)。
⒋500年前の奴隷貿易時代から続く「アフリカの宿痾」
これらアフリカの宿痾は、実は500年前に始まった奴隷貿易でも同じだったようです。
アメリカの社会学者ウォーラーステインによれば「大西洋奴隷貿易」において、西欧の収奪者と結託したアフリカ人が、他のアフリカ人を収奪するという構造が存在していた、と言います。
『改訂新版 新書アフリカ史』でも、当時の西アフリカの政治権力は、西欧からの商品奴隷の要求に対して、その胴元として近隣に孤立して分散している焼畑農業を生業とする小集団を隷属化し、商品奴隷として売買することで、主要交易品だった「金」と同じように西欧諸国に供給して富を稼いだと言われています。
このように現地支配層が一般庶民から奴隷含めて収奪する、という構造は何百年も続くアフリカの宿痾なのです。
アリストレス『政治学』によれば、国家の繁栄には「民主主義」体制の中で支配者が「私利私欲を捨てる」ことが肝要だ、としています。
多くのアフリカ諸国は権威主義体制でしかも「私利私欲を貪る」支配者が多く、まさにアリストテレスの主張した「政治のあるべき姿」の真逆をいく体制なのです。
アリストテレス曰く
▪️追記:アフリカの近未来
以上、アフリカの宿痾によって、アフリカはこのまま発展せずに遅れたままなのか、とも心配になってしまいます。
ですが、私利私欲を貪る権威主義国家体制の支配者であっても、経済運営や治安維持に失敗すれば国民から見放されます。国民から見放されれば反対勢力が生まれて秩序は乱れ、彼らにとって最も大切な「体制維持」も危ぶまれます。
したがって、ウラでは私腹を肥やしつつ、オモテでは国家の発展に寄与すべく一応は努力するのです。
その成果として、例えば今回訪れたコートジボワールでは、現時点の経済的貧困はアジアの新興国とは比べるべくもないものの、資源価格高騰や中国との交易拡大などによって、この10年でGDPが2倍以上に急成長し、今も7%以上の成長率を誇るなど、2010年以降の経済発展は目覚ましいものがあります。
したがって、東南アジアや東アジアの新興国のように、順調にいけばアフリカの一般庶民も、地方で一般的な「薪を燃やしてご飯作ったりする」ような生活は10年も経てば終わっているかもしれません。
*写真:エチオピア ボレ国際空港(2024年撮影)