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生産性で人間を計らせない世の中にしたい

令和新撰組の山本太郎氏が、障害者の候補者が2名当選した時に出てきたスローガン「生産性で人間を計らせない世の中にしたい」は、仕事をしている最中にいつも心に思っていたことで、それを代弁してくれた感じがして、とても嬉しかった。

かといって令和新撰組の政策には政治に関する自分の考え方とは相容れない部分もあるので全面的に支持しているわけではない。

仕事をしているとどうしても生産性の低い(=仕事のできない)同僚をなんとなく下に見てしまいがちになる。当然仕事ができないということは組織の役に立っていないわけだから、仕事の虚構(=稼ぐことが善であり正義)からすると、仕事上においては価値のない人間と思ってしまうのは、これは致し方ない。

しかし(ここが問題だが)、仕事で価値のない人間は、世の中的に価値がないのかといったら全くそうではない。すべての人間には価値があり、真っ当に生きる権利がある。もちろん法の範囲の中ではあるが、基本的人権とはそういうものだ。それが近代民主主義国家としての最も基本的な虚構である。なので個人的には「近代市民社会の原理」を否定する人間や組織や国は、自分とは価値観が合わない。

日本は企業ではない。日本は全ての人が幸せに生きる権利を保障された社会。私は法の支配に基づく競争の結果としての格差は大賛成(=機会平等・結果不平等主義)で、金持ちもいれば貧乏人もいることで世の中永続的に安心安全な社会ができると思っている人間。
だからといって、どんなに人的資本のない(=稼げない)人間であっても、(貧乏にはなってしまうのはしょうがないが)真っ当に生きる権利はある。いわゆる憲法25条の精神。

「仕事ができない=人間としての価値がない」というのは大いなる勘違い。

(自分もそうでしたが)仕事ばっかりしてるとついついそんな気持ちになってしまう。注意したいものです。

*写真:京都 瑠璃光院

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