「エジプトの風土」ナイル川とアスワン・ハイ・ダム
エジプトの自然環境は世界的にも有名で、まさに「ナイルの賜物(ヘロドトス)」という言葉を誰もが取り上げるごとく、ナイル川がもたらす肥沃な栄養が、ナイル川下流沿岸に豊富な穀物を育んだというのが、古代(BC3000年)からのアスワン・ハイ・ダム(1960年代)建設までの姿。
つまりアスワン・ハイ・ダムの建設は、エジプト社会を5000年支えた自然環境を360度転換させた革命的な土木事業だったということ(詳細は後述)。
⒈ナイル川の水量変化によって「暦」が生まれた
古代エジプトの暦は、ナイル川の水量のタイミングに基づき以下の3区分(四季でなく三季というのが面白い)
⑴アケト (7月末ー10月末):ナイル川の増水により、農業ができない時期
農作業を休み、川の堤防やため池の増築、狩猟やピラミッドの建築などで時間を過ごす。
⑵ペレト (11月末ー3月末):水が引いて種をまく時期
農地が乾かないうちに農地を耕し、主に麦の種を蒔きます。
⑶シェムウ(3月末ー7月末):収穫の時期
水位が最も低くなる時期に穀物が実るので、増水期が来るまでに家族総出で収穫。
一つの季節を4ヶ月(120日)とし、1年を360日と考えました。ちなみに私たちの今の暦は、基本的にこのエジプト暦に閏年を加えたもの。
つまり紀元前3000年には現代の暦の原型が誕生していたのです(以下参照)。
⒉なぜナイル川は肥沃な栄養をもたらすのか?
エジプトのほとんどの地は「砂漠土」(赤い土地=デシェレトと呼ばれた)で、降水量よりも蒸発量や植物の蒸散に必要な水分の方が多いため、農業には適しません。
加えて砂漠土では度重なる蒸発によって地下水に含まれた塩分が地表に残留して溜まってしまいます。塩分の多い土地は、(浸透圧の関係で)植物が水分を吸収できないため、植物が育ちにくいのです(これが塩害=塩類化という)。
植物が育たないということは、植物の死骸としての有機物も土壌に蓄積しないので、まさに「死の土地」です。
ところが、ナイル川はモンスーンの影響で毎年6月に青ナイル上流のエチオピア高原で降った雨水が、土壌に染み込んだ塩分を洗い流すとともに、上流の熱帯雨林の土壌に含まれる有機物、リンやカリウムなどを含んだ栄養豊富な水をナイル川の中下流域に運んできてくれます。
したがってナイル川は毎年発生する氾濫によって川周辺の「沖積地」(黒い土地=ケメトと呼ばれた)は、肥料がなくても農耕が可能で、西欧列強の保護下で綿花などの栽培がされるまでは、長い間、地中海(古代ローマ・ギリシア、オスマン帝国含む)の穀倉庫として地中海世界の重要な食糧供給源となっていました(以下参照)。
⒊ナイルの賜物は、自然が生み出した「水田農法」
一般に、同じ類の作物を同じ畑で毎年作り続けることはできません。なぜなら作物が既存の栄養(リン、カリウム、窒素など)を吸収し尽くしてしまうとともに、その作物を好む菌や病原虫の密度が増えてしまって作物が育ちにくくなってしまうから(これを連作障害という)。加えて雨が降らないと土壌中の塩分濃度が上がって塩類化してしまうから。
ところが、水田耕作は水を流し続けて溜めることで不足した栄養を供給し続けることができます。更に多様な菌や病原虫も運んでくるので菌・病原虫のバランスも良くなります。そして塩類化も防げるので、連作障害が起きないのです。だから水田は毎年一定量の収穫が可能(天候影響が同じなら)。
日本に「棚田」が多いのは、かつては棚田という非効率な土地でも十分労働に値する収穫量が望めたからです(今は機械化と化学肥料の発明によって生産効率が劇的に向上したため、棚田が相対的に非効率になってしまった)。
つまり、
ナイル川の氾濫は、水田耕作とまったく同じ作用を農地に与える
ということ。いかに「ナイルの賜物」が農業にとって「賜物」だったかがわかると思います。
⒋アスワン・ハイ・ダムがもたらした自然環境変化
前回の「エジプトの近現代史」で紹介したように、ナセル大統領によって始められたアスワン・ハイ・ダムの建設は、エジプトの環境に大きな影響を与えました。
⑴よかったこと
ダムの建設の目的は、主に三つあって、①安定的な水の供給、②洪水の防止、③水力発電によるエネルギー供給。
①安定的な水の供給
ほぼ全土が砂漠気候のエジプトにおいて、4ヶ月にわたる年に1回の豊富な水量の時期を除いては、水不足が発生していましたが、これが解消。以下の通り、エジプトの降水量がいかに少ないか、一目瞭然ですね。
②洪水防止
上記のように7月末から11月末の4ヶ月に渡り、ナイル川は増水して氾濫し、人家を脅かします。ダムの建設によって氾濫は消滅し、安心して沿岸に住めるようになります。
③水力発電
アスワンハイダムの発電量は2,100MWで、1970年代のエジプト発電量の70%は水力発電だったということですから相当な規模だったのですが、エジプトの人口爆発(1980年:4千万人→2020年:1億人)もあって今の水力発電の割合は7%とシェア激減し、その効果はだいぶ薄くなっているようです。
その他、ナイル川の水量が通年安定したことで、ナイル川クルーズ観光がより安全になり、観光収入が増大したことも大きいとのこと(ヌビア遺跡群の引越し問題はあったものの)。私もナイル川クルーズを体験しましたが、時期的には冬なので水が涸れる時期ですが、ダムによる安定した水量によってクルーズも可能。
⑵悪かったこと
これは、5000年続いた「ナイル川の賜物」が、エジプトの地に供給されなくなってしまったことです。
①化学肥料のコスト増
増水時の氾濫によって供給されていた栄養が、ダムによって閉ざされてしまい、その代替として農耕に化学肥料が必要になったこと。毎年、化学肥料購入にかかる莫大な費用は、ダム建設費用よりも多くなってしまったのでは、との批判もあり。
②土壌の塩類化
地表に蓄積した塩分も当然ながら、流されなくなってしまったので、別途塩害を阻止する対策も必要になってしまいました。さらに塩害は遺跡の劣化を進めるという別の問題も引き越します。
③菌・病原虫問題
更に菌や病原虫のバランスが悪くなるとともに、増水期に氾濫によって排除されていた寄生虫の宿主となる巻貝が海に流されずに流域に留まり、風土病(住血吸虫症)が蔓延。
以上のようにダム建設は功罪相半ばして、その評価が難しいところではありますが、日本同様、洪水の阻止によってたくさんの人の命を救ったことは間違いないので、発生したデメリットはできるだけ回避するような取り組みが必要、ということかもしれません。
*写真
アスワン・ハイ・ダムが造った人造湖「ナセル湖」とセティアブシンベルホテル
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