見出し画像

『昭和23年 冬の暗号』猪瀬直樹著 読了


<概要>

5月3日憲法記念日=東京裁判開廷日、4月29日昭和天皇誕生日=東京裁判起訴日、12月23日平成天皇誕生日=東條英機処刑日など、日本人に敗戦の記憶を呼び起こす日を刻印した、というアメリカ日本戦後処理のプロセスを克明に記録した著作。

<コメント>

一応小説仕立てにしてありますが、ほぼノンフィクションといってもいいと思います。著者の『昭和16年夏の敗戦』が太平洋戦争に至るプロセスを描いたとすれば、

本書『昭和23年 冬の暗号』は、太平洋戦争を終結→処理に至るプロセスを描いた続編。

概要の通り『昭和23年 冬の暗号』とは、12月23日の東條英機の処刑日を指してのもの。

⒈A級戦犯とは?

よく言われるA級・B級・C級戦犯ですが、これは罪の重さのランクではなく、罪の種類の区分で、勘違いしやすい区分。

A級戦犯=平和に対する罪
B級戦犯=捕虜や非戦闘員に対する残虐行為
C級戦犯=民間人に対する残虐行為

ということで、平和を乱す=戦争を引き起こした張本人が、A級戦犯に当たるので、靖国神社問題に繋がっていくのです。ちなみにナチス・ドイツの場合、ユダヤ人虐殺の罪を裁く場面では「C級戦犯」を適用したとのこと。

さらにA級戦犯に関しては、戦争後に新たに設定された罪、つまり事後法による罪で、もともとはナチス・ドイツを裁くための罪。一般的に法施行前に犯した罪は適用されないはずなのに(刑罰不遡及の原則)、事後法として東京裁判でも適用。

つまり戦勝国による敗戦国に対しての裁判というのは、通常の裁判とはまったく性格を異にするものだというのがよくわかります。

私の考えでは、戦争裁判というのは、いわゆる本来の「裁判」ではなく、戦勝国が敗戦国をいかに罰するか、という場であって、たまたま裁判的なシステムが便利だから、このシステムを利用しているにすぎません。

したがって、勘違いしている人が多いと思いますが、東京裁判は裁判ではなく、戦勝国が、敗戦国に対する罰の適用範囲や種類・軽重を一方的に決めるための手続きなのです。

敗戦国側の私たちが「東京裁判はおかしい」と言ってもおかしいと思うのは当たり前。東京裁判は裁判ではないのですから。

⒉天皇問題で終戦が遅れてしまう

私のような今に生きる一般庶民からすると、ここまで天皇が大事なのか、と思ってしまいますが、ポツダム宣言(1945年7月26日)が発せられてから、8月15日の終戦に至るまで20日間もかかってしまったのは、ポツダム宣言には天皇に関する言及がなく、天皇の扱いをめぐって日本政府内の会議が右往左往したから。

当時の日本政府内では「天皇の扱いが明確になるまではポツダム宣言は受け入れられない」という反対が多く「国民の犠牲を少しでも減らしたい」という姿勢はまったくないわけです。

天皇こそが唯一守るべき存在で、国民(当時は臣民)は、全員天皇を守るために存在しているようなもの。それが戦前までの日本政府の姿だった、というのがよくわかります。だから日本人がいくら犠牲になっても、それは第一義的に敗戦を受け入れるための根拠にはならないのです。

仮に日本政府が7月中に受諾して敗戦を受け入れていたら広島・長崎に原爆投下されなかったわけで、天皇の存在はやはり重いといわざるを得ません。

そして8月14日の午前会議で天皇が「反対する者の気持ちはわかるが、その趣旨もわからないではないが、考えは、この前の時と変わらない」とのことで15日の玉音放送に至るわけです。

⒊天皇はマッカーサーの最優先事項

それだけ大きな天皇の存在は、マッカーサーも十分理解していたわけで、日本の間接統治にあたってマッカーサーは天皇を活用すべく、できるだけアメリカの中央政府に邪魔されないよう、東京裁判等で可及的速やかに天皇の戦争責任を回避するよう動きます。

マッカーサーは、天皇を温存して日本占領にかかるコストをできるだけ下げようとしたのです。

当初、昭和天皇は、退位して仏門に入ることで戦争責任者を連合軍に引き渡せないようにできないものか、と考えていたようですが、天皇の退位を最も望んでいなかったのはマッカーサーだったのです。

⒋戦争放棄は、日本側からの提案

マッカーサーは、東京裁判での天皇の戦争責任回避に動いたのと同様、憲法に関しても天皇の権限を大幅に削減した上で、天皇制の維持にこだわります。

そして、戦後2番目に就任した内閣総理大臣、幣原喜十郎は、昭和21年1月24日にマッカーサーに対して、

戦争放棄条項を含め、その条項では同時に日本は軍事機構は一切持たないことを決めたい

本書192頁

と提案したのです。

なぜなら、日本政府は旧軍部の復活&暴走を恐れていたし、2度と戦争を起こす意志はないことを世界に納得させたかったから。これは天皇の意志も同じで、血気盛んな過激派の旧日本軍が戦前同様2・26事件などのテロを起こされたら堪らない、と思っていたのです。

昭和天皇は日本軍に自分を守ってほしくない。2・26事件や8月15日未明のクーデター、皇太子拉致未遂など、幾度も日本軍によって危険にさらされてきた。だからアメリカ軍に守ってもらうことで万世一系を保持できると期待したのではないかと思います。

本書252頁

これまでの私の認識では、日本が戦争放棄したのはアメリカの意向で、日本には日本軍がないその代わりに日本領土は国連軍=米軍が守る、と思っていたのですが、本書を読む限り、違うのですね。

そして戦争放棄=非武装は、日本側の提案だっというのです。当然アメリカ含む連合軍の意向もこれは同じで、だからこそ憲法に戦争放棄が盛り込まれたわけですが。。。。

ただし米軍の憲法草案者ケーディスは、戦争放棄といっても、外敵の侵入を撃退したり内乱を鎮圧するための戦争は、放棄の対象外と考えていて、当初のような完全非武装は考えていなかったらしい(ただしソ連は、完全非武装を主張)。

そしてマッカーサーからの積極提案はどうか?これは上述通り天皇制の維持だったのです。

しびれを切らしたマッカーサーは(1946年)2月3日、総司令部民政局ホイットニーに憲法草案づくりを指示した。・・「ポイントは三つだけだ」・・・「ひとつ、天皇制は世襲制でよい。ただし、法律で役割を限定する」主権が国民にあると明記すればよい。「ひとつ、戦争と戦争権を放棄する。これはわたしのアイデアではない。首相のシデハラが言い出したのだ」・・・「ひとつ、あらゆる形の封建主義は廃棄されること。・・・以上だ」

本書193〜194頁

⒌天皇誕生日は憲法を作った米軍サイドの暗号

マッカーサーが日本を間接統治しやすいよう、天皇制を象徴天皇制として維持したわけですが、天皇の戦争責任を見逃したわけではありません。

概要で記述した通り、東京裁判の重要な日程を天皇にかかわる記念日等にすることで、日本人に対して暗に、天皇にこそ本来は戦争責任があったんだよ、と思い出させるよう仕掛けしたのです。

5月   3日 :憲法記念日      =東京裁判の開廷日
4月29日:昭和天皇誕生日=東京裁判の起訴日
12月23日:平成天皇誕生日=東條英機の処刑日



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?