正しさは「レイヤー構造」になっている
「何が正しいか」は哲学的には「様々な集団的言語ゲームの中でその都度生成される」と私は思っていますが、つまり「自分の様々なコミュニケーションの単位ごとに生まれるもの」だと思いますが、一方で正しさは「レイヤー構造」にもなっているんだな、と最近よく思います。
レイヤー構造の前提として、まずは「生きる」ということです。
「生きる」ことなくして何もありません。
生きなければ私たちは存在しませんから・・・・正しさを語る意味もありません。
そのうえで、最も普遍的な正しさは、誰もがで