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思想(哲学と宗教)

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価値観の学問そのものといって良い哲学、価値観そのものといってよい宗教を勉強する事で「価値観とは何か?」に迫りたいと思っています。
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2022年6月の記事一覧

「正義とは何か」神島裕子著 書評

<概要>ロールズ「正義論」を訳した著者が、ギリシア哲学を確認した上で、6つのアメリカ政治哲学(リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、フェミニズム、コスモポリタニズム、ナショナリズム)をジャンル別にわかりやすく解説した著作。 <コメント>後半のフェミニズム・コスモポリタニズム・ナショナリズムの議論は、私の知識不足・理解力不足であまりよく理解できませんでしたが、前半の3つの政治哲学に関しては、より深く理解するには、ちょうど良いボリュームでした。 ちなみに最初の

「暇と退屈の倫理学」その3「系譜学」

人間はいつから暇を持て余すようになったのか?著者は「人類が約1万年前に定住生活を始めてからだ」としています。 ■定住生活がもたらした不都合人類(ホモ・サピエンス)が20万年前に誕生以降、定住生活が始まったのは最速1万年前だから、人類誕生以降95%の期間は遊動生活。この1万年で我々は定住生活により適応した遺伝子に一部進化しさせた(牛乳が飲めるなど)とはいえ、まだ我々の身体は遊動生活に適した遺伝的形質の方がより多く持っているに違いありません。 もともと狩猟採集社会で遊動社会だ

「暇と退屈の倫理学」その2「原理論」

一応ここで「暇と退屈」について整理。 *暇とは客観的な概念で、生きるために費やす時間以外の時間 *退屈とは 主観的な気分。暇だろうが忙しかろうが「なんとなく退屈」という気分 さて人間は、暇ができたら一体なにをすればよいのでしょう。 ■一言でいえば「退屈」の反対は「快楽」ではなく「興奮」である(ラッセル)暇を持て余す社会を生きる、というラッセルのいう「不幸な時代」において、「考える葦」で有名な、ブレード・パスカルは大きな物語を失った人間が欲望するものは「対象」から「原因」

『暇と退屈の倫理学』國分功一郎「私評その1」

<概要>衣食住満ち足りた先進国に生きる我々は、一体どう生きるべきか?を「暇と退屈」をキーワードにその人類学的・歴史学的・思想的背景を織り交ぜながら、著者なりの結論を導き出した現代思想的、思想書。 <コメント>受講しているセミナーの課題図書『暇と退屈の倫理学』通読。これは非常に面白くて一気に読んでしまいました。以下長くなりそうなので、複数回に分けて展開します。 ■現代思想家に共通する考え方今回の國分功一郎含め、千葉雅也や東浩紀など、日本で人気の現代思想家は、だいたいみんな同