#011「ポンジュノ全解説『オクジャ』『パラサイト 半地下の家族』」(4/4)(音声/文字両対応)

#08~#11の4連続エピソードでは、某雑誌編集者の「池田さん」をお招きし、『イカゲーム』を発端に、現代映画作家の最高峰『ポン・ジュノ』の諸作品を取り上げていきます。

本エピソードでは『オクジャ』『パラサイト 半地下の家族』をテーマに語り合います。

以下、音声の一部文字起こしです。

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1. 『オクジャ』-Netflixオリジナルでも貫かれる作家性と問題意識

池「本作の主人公である少女は『グエムル』の娘にも通ずるような純粋さがありますよね。同居しているお爺ちゃんは、オクジャを心の底から愛する孫娘の気持ちを痛いほど理解しながらも、定められたルールには逆らえないという、その人間らしい葛藤が画面から伝わってきます。」
深「お爺ちゃんが「オクジャにばっかり構ってないで、普通の人生を送って欲しいんだ」と諭すシーンが象徴的ですね。少女の側からすると「普通って何なの!」って話だし、数十倍以上の人生経験を積んできたお爺ちゃんからすると、決まりきった社会の慣習には抗えないんだ、ということを身を持って学んでいる。『グエムル』や『ほえる犬は噛まない』でも強烈な印象を与えたピョン・ヒボンさんの熟練の演技で更に言葉の説得力が増している名シーンです。」

池「ティルダ・スウィントン率いるグローバル企業は”環境保全を掲げながら非人道的なシステムを作り上げている”という二律背反的な姿勢を示していて、これはストレートに社会へのアクチュアルな問題提起でもあるかなと。」
深「そうですね。前作『スノーピアサー』と本作は、これまでの韓国国内で撮影していた作品と比較するとバジェットも規模も桁違いである故か、よりブロックバスター的なというか、何も考えずに楽しめるという要素が強まっているのは間違い無いかなと思います。それと呼応するように、今まで前景化させすぎずにいた”貧困”や”格差”、”行き過ぎた資本主義へのカウンター”がより直接的に描かれるようになったと。」

池「食肉処理場のシーンなど、正直”ここまでやるのか!”的なショッキングさはありました。センシティブなテーマではあるけれどもそれを真正面から描くという、ポンジュノの映画作家としての誠実さを感じました。」
深「自分たちが最も日常的に行なっている”食事”という行為そのものの禍々しさに改めて目を向けさせる。またそこに1つの”正解”めいたものを示すのではなく、最終的には観客に判断を委ねる構成になっているという、映画としてとても周到な作りになっているなあと思いました。ちなみに屠殺場の場面に関しては多くの映画配給会社が難色を示した結果、唯一ゴーサインを出したNetflixで本作を配信することになったという経緯があるようです。」

2. 『パラサイト 半地下の家族』-ようやく世界が追いついた!どこまでもパーソナルでどこまでも開かれたポンジュノ独自の表現

池「あれだけ話題になった作品ながら3日前に初めて見たのですが(笑)、まさにポンジュノの真骨頂であると感じました。これまで色々なジャンルにチャレンジし、そのどれもが高クオリティな傑作であったことは散々述べてきたわけですが、徹底して扱ってきた主題である”貧困”や”格差”の問題をストレートに取り上げたこと、また話の骨格自体はミニマルでパーソナルながら、超緻密に作り込まれたセットとそれを生かした画作りにより、これ以上ないほど豊かな映画になっている、という点である意味ネクストレベルに到達したのかなと。」

深「「雨」というのもポンジュノ作品における重要な要素の一つです。「何か現実と遊離したことが起きる瞬間」の予兆だと解釈できると同時に、富裕層と貧困層の”どうしても埋まらない差”を明確に示すことができるアイテムでもある。雨は上から下に降り注ぎますが、下から上に上がってくることはないように、資本主義体制によって作り上げられた社会構造をなかなか崩すことはできず、雨による直接的な被害を被るのは常に貧困層だということです。本作におけるパク社長の妻の「雨によってPM2.5が低下した」という発言は、経済状況によって気候変動問題に対する捉え方が全く異なるということも示唆しています。」

深「ある家族の家に入り込む、という点では同時代に公開されたジョーダン・ピール監督の『アス』や、パク・チャヌク監督の『お嬢さん』も共通していました。また、貧困、格差の問題を扱った映画が当時いくつか公開されていて、『万引き家族』や『ジョーカー』、『フロリダ・プロジェクト』『家族を想うとき』『バーニング 劇場版』や(『シェイキング東京』で助監督を務めた)片山慎三監督の『岬の兄弟』などがありました。」
池「時代が追いついた、ではないですが、ポンジュノがデビュー当時から発信し続けていた問題意識というものが、国際社会の中でも広く共有されるようになった、ということですね。パーソナルな表現が共通言語的なものへと敷衍されていく過程を、全作品を体系的に観ていくことで理解できるのではないでしょうか。」


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