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知命を迎えるにあたって

誕生日は、当たり前のことだが自分が生まれた日である。子どもの頃は「プレゼント」がもらえたり、ご馳走を食べることができたり、一年の中で最も楽しみな日だった。大人になった今でも、家族や友人に「おめでとう」と言葉をかけてもらえると、うれしい気持ちになる。

SNSの友だちの誕生日を通知してくれる機能を使って、普段、お目にかかれない方からもお祝いのメッセージやコメントをいただける。年賀状よりも、むしろこの機会を通じてやりとりさせていただくことも多い。様々なチャンネルを通じて、自分という存在を祝福してもらえる日だ。

一方で、誕生日は「生んでもらった日」と捉え直すこともできる。不惑を過ぎた頃からだろうか、「両親がいたからこそ、この日があるんだ」と気づきがあり、それ以来、両親へ「産んでくれてありがとう。いろいろあるけど、良い人生を歩んでいるよ」という気持ちでメッセージを送ることにしている。

こんな言葉は、面と向かっては恥ずかしくて、とても言えない。だけど、伝えておかなければ、後悔する。そんな年頃だ。そう、2023年、私は知命を迎える。この後、どんな10年間を過ごすだろうか。いつまで、ありがとうを伝えられる人たちと一緒に過ごせるだろうか。後悔しないように、この命を使いたい。いま、ここで、たくさんの人々へありがとうと言いたい。誕生日とは、自分が存在できる世界に感謝する日なんだ。ちょっと大げさで感傷的かもしれないけど。

追伸:誕生日の意味を捉え直すキッカケは、吉野弘の詩「I WAS BORN」にあると思います。49歳の誕生日に朗読しましたので、拙いですが、聞いてくださるとうれしいです。

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