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駄言

なるほど。決め打ちするタイミングが来たみたいだ。 こっちよりはこれがいい。これで行きたい。そう思える人体バランスや描き方が見えてきたらしい。成長であり進歩だ。そして不安になるのも無理はない。今この時から始まることを思えば、俺は今何も持っていないことになるのだから。 だがそれがなんだ?大切なのは見えることで、見えたのなら後はもう大丈夫だ。生まれた時から全て備わっているものなどいない。思ったのなら、もう大丈夫だ。そこへ行ける。迷わない。 だって足りないんだ。その描き方では足りなか

    • 駄言

      何度も思い出しては悔しくなる。己がやってきたことは間違っていたのではないかと足元がぐらつく。 そうではない、彼らは多大な時間をかけてそこに辿り着いただけだ。そこには及びもつかないほどの苦労と俺の感じているような悔しさだってあっただろう。 大丈夫だ。むしろ間違っていないことを感じていい。その証拠に、己の会得したい巨匠達の作品群を見ても悔しくなったりしないのだから。心から素直に受け入れたいと思える。 俺はとっくに、自分を「こっち側」だと認識できる程度には積み重ねてきたというわけだ

      • 駄言

        70%。嬉しい。三週間目、知識にあたることになれたのか、進行ペースが早い。感動する。己で己を変えるとは、こんなにも嬉しいことか。 変わっていく、置いていく。それはなくなったのではなく、化学反応の違いだ。その環境が無くなったのなら、その反応は無くなるに等しい。その環境がまだあるのなら、容易にあの頃が戻ってくる。 さようなら。俺はもう戻らない。きっと外側から見れば、俺はあまり変わらないだろう。そう見えるように振る舞う訓練をしてきたからだ。人は目に見える異端や変化に怯える。牙を剥く

        • 駄言

          何度でも言う。絵を描くこと(これは逢いにいくこととは異なる)よりも勉強の方が何億倍も楽だ。前者は常に永劫倫理観を問われる。何になることもない。何かにしようとした時、これまでの全てが無に帰す。 後者は答えがある。責任もない。畜生。俺は絵に責任と倫理を教わった。

          駄言

          フールプルーフて馬鹿ガードやんな 草 ありがとう馬鹿に優しい世界 安心して馬鹿でいられるわ

          駄言

          あんなに知識に触れていたのに、一つも信用できなかったせいで今あまり残っているものはない。 今、一つの基準に則って学ぶことで、こんなにも早く的確に知識を得ることができている。 惜しかったとは思わない。繰り返さないことだ。

          道行き

          ぼちぼち、切り離す時なんだろうと思う。 俺はこんなにも、社会的価値観にそぐいもしなければ共感できることもなかった。 共感というものが真に経験したものと推測から呼び起こすものの二通りあるとすれば、俺のほとんどの共感が後者だ。つまり幻想で幻覚だ。心を砕いて従事してきたが、それでもどちらかと問われれば、はっきりと嘘ばかりだ。 それは俺を生きやすくした能力だった。大変に感謝している。 だからさらばだ。俺はもう大丈夫だ。分からないことは分からないし、知らないことは知らない。どうでも良

          どれほど苦しくとも、どれほど助けて欲しくとも、最後の最後、己を真に救うのは己の決断と魂だ。 あの日と同じだ。薄暗い朝4時の公園で見上げた月を覚えている。大丈夫だ。

          心安らぐ。ずっとITパスポートやっててえな。 絵はどこまで行っても己の中の倫理感と向き合ってしまう。苦しい。 絵の正しいあり方を得ないまま、想像力とある程度の描写能力と集中力だけ手に入れた化け物になった気分だ。 俺はどこに行ったら良いんだろうな。 ただ一つ、写実は「俺の絵柄」というものが見えにくいから、安心して描くことができるということにも気づいた。 共有財をお借りする感覚が、俺の人生に合っている。全て、いつか返すものだ。俺のものではない。

          おそらく、俺が俺にとっての正解に辿り着くのがあまりにも早すぎたので、遅れて核心がやってきたのだと思う。 俺はもう、線画らしい線画は描かない。影の補佐としての線画のみ生きる。

          描けない 俺にはこのあまりにも日本的な美しいものは、描けない 描きたくない 素晴らしい けれど 描きたくない

          妄言

          なんだろう いいと思ったアーティストの芸術性を絵に表した結果、気鬱が再発しそうになる 円山応挙の幽霊図を模写したら気が狂うみたいなものかもしれない(個人的で勝手な思いつきのイメージであり、そんなエビデンスはないし作品の壮絶なクオリティを讃えたいのであって貶める意図は一切ない) 同じようにする時、逆説的に脳みそがその人らしい反応をするような、そんな感じだ 日本の絵には俺の居場所は無い 受け入れる枠もないし、そのようなものを描いた時、俺は生きられないみたいだ 息ができない 美しい

          模索

          うーん 試してみたいものを試して、なんとなくは理解して、己の至らないところの多さに改めて嘆息しつつ、これでいいのか?と分からなくなるばかりだ 俺の描きたいものはハッキリとあって、しかしなんとも他人には伝わりづらく 大変に評価されている人の研究をすれば、これはなるほど素晴らしい、と感動する反面、これはその人自身の絵柄であって、俺がどうこう、とも思えないのだった 分からないことばかりだ 絵とは何なのだろう 描けば描けるが これは一体何なんだろうな 俺はどうしたいんだろう

          試しに仕事合間に短時間絵を描いたらもうダメ 頭が帰ってこない 振り切って仕事に戻る

          やっぱiPad買おう。いわゆる隙間時間の活用で二週間ですでにITパスポートの半分まで読んだことを考えると、今後ともそうしていきたいので必要だ。 回線の有無だけ悩みつつ、ルーターでなんとかなるのならそうしたい。

          アアーッ絵が描きたい くそっこれは逢いに行くのとは違う 衝動のままに描き出したいやつだ ITパスポートと筋トレと家事と仕事をまずする くそっ絵が描きたい 絵が描きたい ドラペリーの6パターンを会得して自由に描きたい 背景画像の漫画加工を会得したい しっくりくるトーンワークを試して見つけたい オリジナルも二次も描きたい