マーケのためにブログを始めようとしている。 漫画は仕上げまで含めて8p終了、9p目。 ほんの少しずつでも進んでいる。
少し地震や災害の予兆があると人類の危機を想定する層はいるが、過去の未曾有の災害の全てとあのパンデミックでさえ大きく数を減らすことのなかった、それどころかますます数を増やしている人類が今更一体どうしたら滅ぶというのだろうか。逆にどうやったら人類を滅ぼせるかシミュレーションしてみてほしい。人類があなた1人の小さな叡智では測りきれないほどに安全のために腐心してきたことが分かると思う。 主語を変えて、その予兆で自分の住む場所、大切な人はどう影響を受けるかを考えることは大変に建設的な行
誰の力も借りられないのは、誰の力も借りなくていいということでもある。お前のしたいようにだけしていい。 話の通じない他人は置いていけ。
万事万端だ。誰にも邪魔されず俺の描きたいものを描き、邪魔されぬよう関係のない仕事で稼ぎを得る。 法にも周りの人間にも契約にも社会通念にも邪魔されない。俺のためだけの作品。俺の世界。 俺の背後では作品で一山当てるための編集会議が行われている。俺以外の誰かはこれが現実で、実際は何の関係もない話。 描きたいものを描きたいように描くことは生半可なことではない。覚悟を持って人生を賭している。
こんなんでいいのかと悩み違う方法を試した結果、改めてこれで良かったんだなと思う。無意識にやってたらしい。良かった。
他人の目に触れたくない。他人がありがたくないからではない。そのありがたみを痛いほど知っているからこそ、他人の感謝や称賛を受け続けながら彼らの要望や困りごとに影響を受けずに突っぱねて生き続け作り続けられるほど、俺は強く無い。なんとか人の目に触れぬよう生きて、なんとか己の作りたいものだけを作り続けていきたい。 ここに書いているのは自己のとりとめのない思考の整理が目的で、メモ帳では脳みそが記憶させるために働いてしまうからここで吐き出させてもらっている。 忘れるために書いている。
俺は自分を必死に守ろうとしている。それは他人の悪意からではない。何もかもに左右される自分を、悪意のない何もかもから。 そうしないと、自分の本当に欲しいものが作れない。贅沢な話だが、それは本当にそうらしい。 他人の何気ない一言が俺を左右する。大切な人であればなおのことそうだ。 言葉で説明できないから、行動と形で証明するしかない。俺の本当に好きなもの、俺の本当に見たいもの。 どうせ一度きりの人生だから、自分が作るなら他人の意図が混ざった山ほどの作品よりも、俺しか意図しない俺のため
絵を描き続けるには金がいる。俺のやることは変わらない。 金がなければ産むことはできない。描くために働く。 描くことに全てを捧げたい。
目が悪くなって、辛いと思う日が増えた。 あまりにも早いスピードで悪くなっていき、数日前まで見えていたものが見えなくなっていくので、このまま何も見えなくなるんじゃ無いかと飛躍しては悲しくなっている。 仕事上の理由だから致し方ない。 絵が描けなくなることだけは避けたいが、それもダメかもしれない。 勉強するにも何をするにも、画面を見なければいけない。辛い。成長に視力を犠牲にするような感覚だ。 受け入れるしかない。あと50年か60年か、俺の視力は保つのだろうか。 そもそも生きているか
他人のことばかりで自分の事を言う必要性を感じられなくなった己に主体性は生まれ得るんだろうか。 自分自身の問題から目を背けることに他人の人生を利用するような事だけは避けたいが、自分自身の問題を自覚しているのなら、それを他人に言う必要は無いような気がする。 他人に言う必要のあることは、関係のある事柄の報告と感謝と謝罪くらいで、後はそんなに無くないか? 遊びに行く時誘うのは好きだが、俺も含めて皆忙しい。そうして何も言うことが無くなっていく。 他人に言うことがあるということは才能だ。
俺が他人に何かを尋ねるときは、欲しい答えが決まっていてその裏打ちとなるソースが欲しいか、または俺の意見が変わるよう信頼できる情報をもってしっかりと説得して欲しいか、その2択だと分かった。つまり学ぶということだ。 そして大抵、あらゆることに対して先の2択のどちらか一方でも行える人間はほとんどいない。 インターネット、またはAIが人間の記した数多の情報をもってそれを行なってくれる。 それが正しいかどうかは、己が身一つで確かめるより他はない。他人の人生を己の好奇心のためだけに棒に振
久しぶりにマズいやつに会った。 彼が悪い奴なのではなく、ひどく価値観の相性が悪い。 彼らには彼らなりの、俺には俺なりの生き方がある。 それを否定せず、お互いにとって円満な生き方を貫くのが目標である。 そのためには他者受容だけでは片手落ちだ。 俺が正しく俺の生き方を理解して貫くことも必要だ。 今はマーケティングを学ぶこと。簿記を通して会社の生命線たる数字を学ぶこと。それが目標だ。 俺たちは争いたいんじゃない。ただ幸せに生きたいだけだ。
早く絵が描きたい。俺が全てを向けられる場所。そこだけの存在。愛しい。何になるだの何にするだの、他人がどうこう、何もかもが存在しない。俺の場所、俺だけのもの。 早く絵と一つになりたい。
蹂躙したい。そういう欲求が生まれつき備わっいてる。海は良かった。波に乗れないことを悔しがりどれだけ睨みつけようと、焦燥と執着を向けようと傷つきもしない。それがそのままにある。 また海に行きたい。
自分のことばっかりで でも何にもならない奴が俺 皆凄いよ ほんとすごいから どうかご自愛して 頼むから
悲しみと幸せは同居する。 悲しいからって幸せじゃないわけじゃないから。 悲しいことが幸せなんじゃなく、悲しみは悲しみで、でもそれで不幸って他人に、まして自分に決めつけられるいわれはない。 悲しくて不幸なことはある。それを否定したいんじゃ全くない。驚くことに、悲しくても幸せでいることもある。それだけは表明したい。 他人の悲しみに気づけたとき、他人のしんどいことを肩代わりできたとき、美談とか美化じゃなく純粋に俺は幸せになる。ただの脳機能の働きの結果で、でも事実だ。 その時確かに悲