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猫と私 #5 僕らの居場所は言わにゃいで(中編)

私には20年近く通って、猫の写真を撮ったり、触れ合ったり、時には地域の人の手伝いで猫を捕まえて病院に連れて行ったりしている場所がある。そこは昔から他の地域に比べて自然に流入してくる野良猫は少ないが、捨て猫が多く地域の人たちは困りながらも何とか猫たちと共生していた。
私がその土地で猫の写真を撮り始めたころはブログ全盛の時代、SNSはmixiが主流で、芸能人ならいざしらず、個人の発信を見ている人の数は限られたものであったと記憶している。

「ブログとかいうので〇〇の猫とか紹介されると、迷惑なんだよね。捨てるやつ増えるたり、虐待しに来たり。紹介してくれなんて頼んでねえっつうの」

そんな、土地の人達が発した言葉を普段から耳にしていたこともあるが、元来私は写真にあれこれ説明を添えるのは邪道だと思う質(タチ)で

「伝えたいことは全部、写真に込めればいい」
「伝わらないのは、自分の力量不足」
「力量を写真以外で補うなら写真である必要がない」

という考えから印象操作になりかねない過剰な説明を避けるようにしている。目の前で歌手が唄う前に曲について長々と語ったり、料理人が料理を作る前に食材のうんちくを延々語っていたら「いいから、早くやれよ!」と感じる人もいるだろう。それと同じだと思ってもらえれば嬉しい。
よって、当時の私は猫写真の発信にあたり撮影場所の情報は「超どうでもいい情報」として切り捨てるのが普通だったが、場所を書いている人のブログやSNSにわざわざ「つまんない写真だから、そういう付加価値でもつけないと見てもらえないんだね」なんて嫌味を言うほどの関心もなく、それもまた「超どうでもいい存在」として認識していた。

そんなある日、その土地と猫たちがテレビで取り上げられ注目を集める出来事があった。
場所がバレるので詳述は避けるが、その直後2週間ほどの期間でその土地にいた猫の1/4近くが突如行方不明になるという不可解な事象が起きたのである。

「テレビを見て、どこかの動物愛護団体が保護しに来たのでは?」

と考える人もいたが、行方不明になった猫たちと同じ場所にいて所在が確認された猫たちの中に前足を脱臼ないしは骨折している猫が複数見つかったり、行方不明が相次いだ期間で新たに捨てられた猫もまた前足を痛めているなど、腕を引っ張って強引に捕獲を試みたとしか考えられない状況から動物愛護団体以外の何か、しかも不穏な気配を感じずにはいられなかった。

その後、地域の人や私のような有志の人間が夜となく昼となく見回りを強化し、警告混じりのチラシをあちこちに張っているうち事態は収束したが、行方不明になった猫たちがどうなったかは今もわからないまま。少なくとも、あまり良い状況には置かれていないのではないかと思う。

それでも「〇〇の猫」と撮影場所を明かすブログは続くし、mixiがTwitter(現・X)やFacebook、instagramに取って代わられるうちにスマホのGPSで取得した位置情報や地名のハッシュタグを付した猫写真がSNS上に溢れ、多くの人にシェアされるようになるにつれ私の中で「猫たちがいる場所の情報」は「超どうでもいい情報」から「危険な情報」へと変わっていった。

このままでは、また得体のしれない連れ去りが起こると危惧した私は、主に使っていたSNSで「場所の詳細は書くのやめたほうがいい」と主張をするようになったのだが、奇しくも世は大SNS時代。
「なんでよ?みんなでシェアしたほうがいいじゃん?」と聞く耳を持たない人も多く、どうすればこの危惧を共有できるのかと思い悩んでいたところ、再びメディアによってその土地と猫が注目を集めることになった。

今度は雑誌。当時、盛り上がりを見せ始めていた猫ブームに乗っかった大手女性誌が「〇〇の猫特集」として、その土地について特集ページを組んだのであった。

ちなみに、その土地で商売をやっている人たちはメディアから猫に関係する取材を申し入れがあっても「猫でまち興しをしたいわけじゃないし、メディアに取り上げてほしくない」と頑なに取材を拒み、某公共放送で著名な動物写真家がやっている番組の取材についてもキチンと断り、某公共放送もおとなしく引き下がっていた訳だが、雑誌の編集者はお構いなしに取材を敢行し、記事を作って出版してしまったのである。

雑誌はバカ売れし、重版もかかり、地域の人は出版社に抗議をしたが聞き入れられず、部数が伸びるほどに「また、連れ去りが起こるのではないか」と緊張ばかりが高まっていったのだが、雑誌の発刊から2ヶ月ほど経って出始めた影響は、私や土地の人の予想だにしないものだった。

次々と猫が増え始めたのだ。

前述した通り、自然に猫が流入することは稀な場所なのだが、雑誌で紹介された複数の地点で、まとまった数の猫が突如現れるのだ。しかも新顔の猫同士ですでに関係性が出来上がっており、新顔の猫同士が元々知り合いであることがうかがえる。どこかの家でみんなで暮らしていたのか。どこかの地域猫コロニーで一緒に生活していたのか。経緯はわからないが僅か2ヶ月間ほどで、それまで年間に捨てられていた猫の5倍近い数の猫が現れたのだ。

どう考えても異常な事態に地域の人も、私たち有志の人間も困惑した。
警戒監視を強めていたのに、それを嘲笑うかのようにボコボコ猫が増えていく。
未去勢・未避妊の野良猫、耳カットされた猫、ちょっとお高そうな老猫、明らかに何かの感染症に陥っている猫などバリエーションの枚挙に暇がなく、中には乳離れしたばかりと思われるような子猫の兄弟も。現在我が家の一員であるグレッチも、そんな混乱の中で現れた猫だった。

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