年をとること

年をとると関わる人が増える。友達が増えるとも言えるが友達ではなく知人だな、とか、関係者だなとか、友達っていったいなんだとか。「友達」。なんて繊細な言葉だろうか。友達の定義は今回関係ないので考えないことにして、友達も全部ひっくるめて「関わる人」としておく。

年をとると、仕事上の付き合いや、ママ友パパ友なんかも増えていく。友達でもあるだろうし、ここで言う「関わる人」とは、とにかく好きな人たちだ。好きなひとなので迷惑をかけたくない、傷つけたくない。年をとるとそんな人たちが増える。

社会的に信用される職業であるし、人前に出る機会が多いので知らぬ間に、自分の想像や距離を超えて、影響を与えてしまうことがある。私が読んだ本は面白いだろう、とか、私が勧める歯磨き粉ならぜひ買ってみよう、とか。影響力を悪用してひとを騙すこともできるだろう。

影響力は厄介だ。知らぬ間に影響され、私の無意識的にどこかで得をする人、損をさせてしまう人がいるはずだ。自意識過剰でおこがましいが、模範となる生き方が求められる。「自惚れている」と謙虚になったところで助けられる人はおらず、自己防衛が目的の謙虚さなどなんの役にも立たない。であるならば自意識過剰であるべきだと思っている。

私が誰かに誰かを紹介する場合「私の紹介なら安心」と思われてしまっては良くない。合コンやパーティーで突然話しかけてきた誰だかわからないひとを「もしかしたらヤバいやつかも」と恐る恐る手探りで見極める手順をすっ飛ばすことになる。はなから信用に値すると、誰々の紹介なら安心だろうと、油断させてしまう。年齢を重ねて、付き合いが増えれば増えるほど、付き合うひとが悪いやつじゃないか、詐欺を働くような輩ではないか、反社じゃないか、などを慎重に見極めて付き合わなければならない。自分のためではなく、関わる人に不幸がないように。

年をとると関わる人が増える。つまり好きな人が増えるので喜ばしいことでもあるのだが、好きな人への想いは心の奥の方でぼんやりと火が灯っている程度でよい。会わなくても、話さなくても、火が消えていても、好きだなーと余熱程度のほったらかし具合でよい。好きな人を好きなままで、出来るだけ誰ともと関わらずに、静かに質素に生きていきたい。お金も、地位も、名声の類いも欲しくない。日々の生活の中で、小さな幸せを感じられるだけでいい。切腹しようとは思わないが、明日死んでも構わない。子どもたちは逞しく育つだろう。妻がしんどいだろうからやっぱり死にたくない。欲しいものも食べたいものも特にない。ただ恵まれた環境で、挑戦できることを感謝したい。実業家として、ほぼ日とも戦える。あなたは、ライバル会社のトヨタさん!まだライバルじゃないよ!クッキーしか作ってないんだから!という、お笑い芸人令和ロマンの一説が好きだ。

今日も、最後まで読んでいただきありがとうございました。繊細で考えすぎで自意識過剰は生きづらいけど、だれかの役に立っていることもあります。

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