僕とバイクの歴史 二十代~三十代前半編

以前やっていたサークルが活動停止してブログをやめた後、Twitterが主な生息地になり、長いこと長文を書くことを止めてしまっていた。
今後どういう活動をしていくか何も決めていないけど、とりあえず今一番ハマっているバイクやキャンプの事を書いていきたい。

バイクとの馴れ初め

純粋なバイクの出会いというのは家にあったからだと思う。ただ、いわゆる原付だ。父がカブに乗っていたことは覚えているが、盗難人気上位機種な上、チェーンロックすらしていなかったので2回ほど盗難されてしまったらしく、僕が高校になるくらいにはいつのまにか普通のスクーターに変わっていた。
実家は駅が遠く、おまけに大学生になった時、1・2年次に通う校舎は同じ県内なのに、横に移動する電車やバスがないか、乗り継ぎが非常に面倒くさいという環境だったため、移動のために原付免許を取るというのは自然な流れだった。
原付免許を取得してからは、ファミレスや寿司の宅配のバイトなどもしていたので距離としてはかなり乗っていた方だと思うが、あくまで移動の手段の一つでしかなかった。ただスクーターは親が使うということもあり、自分のバイクを購入するとなった時に最初に選んだのは、HONDAモンキー50だった。

HONDA モンキー50

この頃はスマホも無かったし、写真を撮っておく趣味もなかったので残念ながら写真が残ってない。赤いモンキーだったのは覚えている。確か2000年スペシャルモデルの中古で、走行距離1000キロくらいの良品。

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元々自分の身長があまり高くないことや、かわいさ重視で選んだということもあるけど、自作PCなどを作るのも好きだったので、自然な流れでカスタムに走った。この時、すでに自動車免許も取得していたので、モンキーをボアアップしたいというためだけにMTの小型二輪免許を取得(この後、この選択を後悔することになる)。
ボアアップやサス、マフラーなどを一通り弄ったところで少し飽きてしまった。乗った期間は3年、8,000キロ弱くらいだったろうか。二人乗りが出来ないという事もあり、丁度その頃リリースされたばかりのSUZUKIアドレスV125Gに乗り換えた。モンキーはヤフオクで、アドレス購入の半額くらいの値段で売れたと記憶している(評価欄でタイトルは残っていたが、詳細は流石に消えていた)。

モンキーには、主に「弄る楽しみ」を教えてもらったと言えるだろう。

SUZUKI アドレスV125G - 初期

通勤快速の名も高い名モデル。2005年にリリースされたばかりの初期型、サイドスタンドやインナーポケット、DCソケットがついた125Gを購入した。当然車検もないが、折を見て定期点検をしていたため、初期型ゆえの各種のリコールを乗り越え、結果的にこの後約11年間、40,200キロの付き合いになる。
最初のうちは主に普段の足中心。この頃すでに都内に引っ越していたが、練馬区の住宅街で買い物には少し距離のあるところをいく必要があったので主に街乗り中心。都内のスポットに遊び行くのもたいていコイツに乗っていた。ロングツーリングに目覚めたのは3年くらい経ってからだと思うが、この頃は青春18きっぷを使った電車の旅などもしていて、バイクはあくまで旅をするツールの一つ、という感じだった。そのため、この頃は旅先の景色の写真は多く残っているけど、バイクの写真はほとんどないし、ロングといっても125にしてはという程度で、せいぜい関東圏内や静岡・福島・山梨・長野くらい。カスタムもロングスクリーンと安めのノーブランドリアボックスくらいだった。

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この頃よく覚えているのが、正月休みのときに冬の福島へ猪苗代湖の白鳥を見に行ったこと。いくら軽いアドレスとはいえ、雪道や凍った坂道をノーマルタイヤでひた走っていたとは若さとは恐ろしい。

SUZUKI アドレスV125G - ニート編**

大きな転機があったのは30過ぎの頃にニートになった事だ。色んな事が重なって実家に引きこもっていた。東日本大震災もあったが、土地柄的に大きな被害もなく、自分自身にも精神的余裕がなかったこともあり、大きな影響を受けることはなかった。
夏になり、クーラーがない自室で引き籠るのも限界があり、半年以上何もしていなかったことにやや自暴自棄気味になっているところもあったかもしれないが、貯金をはたいて長い旅に出る事にした。それも2ちゃんねるで実況しながら…いわゆる安価で行動という奴だ。この話は長くなるのでまた折をみて書きたいと思うが、ここでの経験は僕にとってかなり大きく、今に繋がっている気がする。

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この時の旅はランダムに動きつつも、最終的には一度も行ったことのなかった四国に渡り、125ccならではのしまなみ海道を堪能した。この頃はキャンプ道具もなかったので、野宿したり漫画喫茶に泊まっていたりした。

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当時今ほど全国的に有名にはなっていなかったさわやかのげんこつハンバーグを、いわゆるスネークに奢ってもらって初めて食べた。静岡の食のオススメがなぜファミレス??と思っていたけど、衝撃の味だった。この後、静岡を通る旅ではほぼ毎回食べていると思う。

SUZUKI アドレスV125G - 後期**

翌年、日雇いの仕事などで少しずつリハビリいつつ、夏の終わり頃に友人の紹介で現在の会社への入社が決まり、就業開始までの2週間で日本を半周ほどした。

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当時の旅程アプリのスクショ。東京でライブを見てそのまま神奈川に移動したり、途中で大阪でもライブを見たりしている。この頃iPhone4Sを使っていて、カメラアプリも増えてきていたので写真が多くなってきている。

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ようやくバイクの写真である。多分しまなみ海道のどこか。思い出深かったのでもう一度行ってみたかったのだと思う。

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当時の積載。箱自体は大きいけど寝袋と着替えくらいで今に比べたらささやかなものである。メットインのDCソケットから無理やり長い充電ケーブルを伸ばしている。

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うさぎ島と言われる大久野島にも渡ったりした。

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念願だった宗谷岬にも行った。

アドレスはとにかく軽くてフットワークが良かった。当時は廃墟や秘境駅をめぐることも好きだったので、ちょっとしたオフロードにも入っていける気軽さがあった。2年のニート期間と、ツーリングに目覚めるのが遅かったことがなければ、もう2万キロくらいは伸びていたかもしれない。

アドレスには、「気軽に遠くに行く楽しみ」を教えてもらったということになるだろう。

長くなったので今回はこのあたりで。

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