Mを持して

満を持して、noteを始めてみる。年齢がばれそうだがmixiネイティブ世代なので、noteの存在は知りながら、あのオレンジとグレーの画面じゃなきゃダメなんだよおと思いながら手を出すことはなかったんだけど、ここ最近書きたい欲が増してきた。あえて誰かわからないまま書くのもいいのでは?と思い遂にスタート。手紙や日記について思ったことなど。

Mー・・・すっかりあのナイトドラマにはまっている。これまた世代発言だけど、ディーバ浜崎あゆみ。うわー懐かしいと思って以前のPVなど見返すと、思ってたのといろいろ違う。当時お金がなかったとは言え持っているアルバムはAbestのみ。あとはMD(まだ聴ける)。中学の間のそれも2年弱くらいの印象が強烈(リリースのスピードすごい)で、それ以降の曲はタイアップされてた記憶はあるけどあまり歌えない。すごく好きだった気がしたが、あれ。でも、その他大勢もそんな感じだったのでは・・?あるいは、そんなにファンじゃなくても嫌味じゃなく街中で曲がきけて(地方出身のため東京だともっと?)、覚えようとしなくても大体歌えたしカラオケで入れとけばどうにかなった気がする 全盛期がどうかしすぎてたんだと思う

2000年代初頭、「歌詞に共感できる」浜崎あゆみ支持の理由として真っ先に挙げられていたのがこれだった。自分も例外ではなく、A song for××に多少記憶操作までして自分を重ね合わせ、「これは私のための歌だああああ」と思ったものだった それが今、「え、うちら世代が散々感情移入したあの名曲たちは、プロデューサーのため・・・!?」となっている。7回電話かけてきたのも、旅立つのも全部まs・・。

もちろん何も悪いことではない。いとしのエリーしかり、前から音楽界ではよくある話だし、誰かのために描いた曲がこんなに多くの人に響くって素直にすごいと思う。と同時に、私信とは何なのかと改めて考えさせられた。誰かとのメールやLINEのやりとりを簡単に第三者に見せることがあまり好きではない。仕事のメールですら、その転送デリカシーないですよねと思ってしまうことがよくある。LINEについてはアプリ側でスクショをとれる機能(アイコンとアカウント名隠すこともできるが)を作っていることに目食らってしまった。見てみて!みたいな感じできた画像とかならまだしも、当人はいたって真面目なつもりのお誘いとかを「こんなんきたんだけどw」と晒している人は信用できない。自分の中でとどめておいてほしい。

なんて言いながら、日記を公開っていう文化も不思議だ。小学生のころ、同じクラスの子が日記を書いて先生に見てもらってると聞いて「私も!」とやり始めた当時、先生や親に面白がって読んでもらえるのがうれしくて毎日書いたのがたぶん原体験。そのあとも日記とまではいかないが中高でメモ魔は続き、大学時代に出会ったmixi。初日記、そして初期、思っていることをさらけ出すのは結構恥ずかしかったような記憶がある。これもリアクションをもらううちに楽しくなり、リアルでは言いづらいようなことも結構書いてたように思う。常に承認欲求が付きまとうんですね、わかります。でも、日記とはいえ一応人に見せるように少しは気にしてるところがあるのかも。ほんとのメモとか頭の中を覗かれるとしたら、たぶん露出するより恥ずかしい、うん。

アユが誰にも見せない日記をつけていたら、どんな感じなんだろう。あと、Mってやっぱりみな実のM?村西?mixiの頭文字も、図らずもM。原作ちょっと前に買ったのにまだ読んでない・・


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