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宝石の国11巻を買って読んでみた①

Twitterのトレンドに 『宝石の国11巻』 という単語を見かけました。宝石の国はアニメを見たことがあり、その後もネット情報で主人公の変化を何となく知っている程度でしたが、11巻の表紙を見て驚愕しました。主人公がいつの間にか化け物のような姿に。

一体主人公に何があったのか。

※考察にはWikiを参照しています。

表紙

シンシャに対面する主人公フォスフォフィライト。両足にはアドミラビリスから貰ったアゲード・貝殻、両腕にはアンタークチサイトが見つけた金・白銀、頭はカンゴームがつけたラピスラズリ、左目は月人がつけた合成真珠が合わさっている。今の状態ではフォスフォフィライトはいないのでは?と思ってしまう。しかもフォスに合わさったこの6種、七宝と関係がありそう。

七宝
仏教において、貴重とされる七種の宝のこと。
『無量寿経』においては「金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)」とされ、『法華経』においては「金、銀、瑪瑙、瑠璃、硨磲、真珠、玫瑰(まいかい)」とされる。
瑠璃は、アフガニスタン産ラピスラズリと推定されている。
玻璃は、無色(白色)の水晶、後に、無色のガラスを指す。
硨磲は、シャコガイの殻、又は白色系のサンゴ。
玫瑰は、詳細は不明であるが、赤色系の宝玉とされる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』​

両足のアゲード(瑪瑙)貝殻(硨磲)、両腕の金と白銀、頭のラピスラズリ(瑠璃)、左目の合成真珠。これらを考えると七宝の法華径であり、残すは玫瑰となるのではないかと考えられる。もし仮にフォスが七宝形態となったら一体どうなってしまうのだろうか。あと”フォス”の右目、というかラピスラズリの右目と言うべきか。これはアンタークチサイトと同じ演出なのも気になるところ。

シンシャの表情も変わっており真っ直ぐフォスを見ていた。いや、”フォス”と呼ばれる鉱物を見ていたのかは分からない。始めのシンシャは自分の毒液は他の宝石たちを傷つけてしまう故に、自ら距離を置き―自分の価値を誰かに見出して欲しい―そんな心の優しい、でも寂しくて居場所を求めていたシンシャ。だがこの表紙のシンシャはどこか安定しているように見える。

”フォス”のヒビや壊れた部分からは液状の金が溢れ出ており、またシンシャ自身も制御できない銀色の毒液が出ていた。互いがまるで制御できないものを抱えているようにも見える。いつしか互いの金属が交わった時、シンシャが”フォス”を覆い、『ようやく僕にしかできない仕事が見つかった』と言って水銀が”フォス”を覆い、光を通さない世界へと導くとかそういった展開になったりするのかな。今後シンシャの活躍が期待できそうですね。


1.三族

いきなり衝撃を受けた。金剛の目の前に黒い怨念を纏ったような人影。それは表紙よりもグロい主人公フォスフォフィライトだった。顔や首だけでなく全身のあらゆるところがヒビだらけだった。そして口から、目から、耳から、怨念らしきものが出ていた。漫画は黒と白の世界なので、これが色のある世界だと恐らく液状のあの金と白銀の合金だとは思う。しかしフォスの頭部にまでは影響が出ていなかったはずだ。もしかしたらヒビの影響で合金が頭部にまで侵食したのかもしれない。
腕から延びる合金は金剛の合掌形を崩さないよう固定し、金剛の手の内側には光が生まれていた。この光こそが月人の求める”金剛の祈り”なのか。
そしてさらに驚いたのはフォスのセリフ。

「祈れ 機械 僕のために」

上から目線で金剛に命令するフォス。以前は金剛を先生と呼び、尊敬していた。だが今は金剛を機械と呼ぶ。そして今まで宝石たちが苦しまないように、月人の願いを叶えるために動いていたものが、今では自分を中心として自分のために祈れと言っている。しかし何故フォスが『僕のために』と言ったのだろうか。自分の苦しみや憎しみから解放されたい故に祈って欲しいからなのか。それとも自分が上に立つものとして祈れと言ったのだろうか。


「おまえさえいなければ」
この台詞も驚いた。もはや先生に言う台詞ではない。そしてこのフォスの表情。もう恐ろしい顔だ。口元はヒビの影響でガタガタの歯のような形をしている。だが目からは合金の涙が溢れていた。まるでそれは人間の血のような表現に見えた。人間の作った金剛という機械がいたから自分はこんなにも苦しくて辛いんだという思いなのか。金剛に対する憎しみなのか。それとも愛しさによる苦しみなのか。これはフォスの声なのか。それとも別の誰かの声なのか。もしくは自分自身に対して言った言葉なのだろうか。


人間を祖よする者は全て無へ向かう
金剛は壊れており力の制御が出来なくなったので、一度祈れば全てが無になるとエクメアは言う。そして宝石たちと暮らす中で機械に自我が生まれ、故障の原因=祈りをやめた、という。
だがここで疑問が残る。何故エクメアはそのことを知った上で”祈り”をしてもらうために宝石たちを襲撃していたのだろうか。自我が生まれた金剛にいたずらに宝石たちを壊し持ち去ったとしても、月人たちのために祈れば自分の大切な宝石たちも無になってしまう。つまりどんな手を使ってでも金剛は祈れないのだ。金剛は宝石たちへの思いがあり、無にしたくないから祈りをやめたことになる。それにいくら月人に攻撃を与えても彼らは再生を繰り返す。もしかしたらエクメアは金剛の自我を動かすことが出来る宝石たちに金剛に祈らせてもらう為に、宝石たちに刺激を与え、宝石たちと月人が協力することを考えたのかもしれない。そしいてそれがたまたまフォスフォフィライトであった、ということか。
しかしエクメアの言う”壊れた=力の制御が出来なくなった”なのだろうか。宝石たちと出会い自我が生まれ、自分が祈れば宝石たちも無になってしまう、だから祈りをやめたのではないのか。自我がないただの機械であったなら宝石たちが無になることも気にはしていなかったはず。もし金剛が故障しておらず力の制御ができたのなら、その制御とは一体なんなのか。

祈り(いのり)とは、宗教によって意味が異なるが 世界の安寧や、他者への想いを願い込めること。利他の精神。 自分の中の神と繋がること。 神など神格化されたものに対して、何かの実現を願うこと。
仏教では、仏の力で病気や災難から助けてもらえるように僧侶が加持を行なう宗派がある。また、個人的に「願」(がん)を掛ける(願掛け)ということをおこなう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

思えば金剛の中が故障し祈りをしなくなったことで月人があの手この手で金剛に刺激を与えているわけだが、そもそも祈りとはなんだろうか考えてみた。
私たちがよくする祈り。例えば受験シーズン合格祈願なんかをよく目や耳にする。
「○○大学に受かりますように」
そしてそれが叶うかどうかは二手に分かれる。一つは努力しそれが実り成功する例。もう一つは神に頼り何もせず失敗する例。稀に奇跡ということもあるが、大抵は上記だろう。つまり祈りとは誓いでもある。そして祈りとは感謝し、許しを乞い、最後に願うものである。金剛が祈れないのは対象者に感謝の心がないからなのだろうか。

右手は仏の象徴で、清らかなものや知恵を表す。左手は衆生、つまり自分自身であり、不浄さを持ってはいるが行動力の象徴である。両手を合わせることにより、仏と一体になることや仏への帰依を示すとされる。
仏教徒は、あらゆる挨拶において合掌をするが、特に他人に向かって合掌をすることは、その者への深い尊敬の念を表す。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つまり月人に対する金剛の祈りや合掌は、金剛が月人に対して尊敬の念がない、仏に成る教えを説くことに値しない。そしてフォスに対する金剛の祈りや合掌は、やや強引さはあっても拒否をしなかったのは、金剛がフォスに対して尊敬の念が少しでもあり、フォスに自身の誓い、願うのに値する。そう考えると金剛にとって今のフォスは仏に近い存在なのかもしれない。

2.土産

体制を崩したフォスは合金で自ら複数の足場を作り金剛に覆いかぶさるような姿はまるで蜘蛛のよう。宝石の国は仏の世界が関わっているので後に考察する蓮も考えると芥川龍之介作の蜘蛛の糸を連想させられました。
メスらしき刃物を持った前髪が長い人、始めこれが誰だか分からなかったのですが後に月から現れたパパラチアの発言でルチルだと分かりました。個人的にあの白衣のルチルもお気に入りだったので、変わり果てた姿に動揺しました。

パパラチアは心臓を位置する宝石の一部を自身で抜き取り、ルチルに土産だと言って渡し再び眠りにつきます。

パパラチアサファイア(Padparadscha Sapphire)とは、サファイアの一種で桃色と橙色の中間色のもの。パパラチアはシンハラ語で「蓮の花」「蓮の花の蕾」という意味である。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
蓮は、死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」という言葉の語源になっている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こう考えるとパパラチアの土産は今後重要なものになりそうです。ちなみにパパラチアには表面拡散処理パパラチアというものがあるそうです。

従来の加熱処理とほとんど変わらないが、加熱処理の最終段階である1800度での加熱時、クリソベリル粉末を加えることによって表面の発色を元の色から別の色に変化させることができる。そのうち、桃色~橙色に変化したサファイアをパパラチアとして流通させた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クリソベリル……そういえば宝石の国に名前を見かけたような気がしたので、こちらもWikiで宝石の国にて調べてみたらいらっしゃいました。かつてはアレキサンドライトの相棒で、フォスが生まれる少し前の300年以上前に月に連れ去られたとのこと。つまり今までルチルが寝る間も惜しんでパパラチアに様々なパーツをはめていたものが、月人によって連れ去ったクリソベリルを活用し表面拡散処理パパラチアを作り出したのではないかと思います。


3.成り行き

宝石たちの間では深刻な出来事が起きているのにゴーシェナイトがまったりマイペースでとても和みます。それにしても本来敵であるはずの月人にとてもフレンドリーなゴーシェ。恐らくゴーシェは月人を少なくとも敵とは思っていないのでしょう。そして月人もゴーシェを受け入れてる場面がありますね。月人は地上では呼吸が出来ないみたいなので、こうやってレアな人物に会えたことに喜びを感じてると思います。

しかし月人たちの生活の様子を見ているとやっぱり不思議なんですよね。永遠と生命維持活動を繰り返すことが苦痛と言いますが、その苦痛が見られないんですよね。そう思うと月はただエクメアだけの願望で成り立っている世界なのではと思ってしまう。

「まだ僕を愛してる」

この右目がないフォスが風の谷のナウシカに登場する巨神兵に見えてくるんですよ。それぐらいグロい。例え色のある世界でも合金で溢れたその姿にやっぱりギョッとする。

一度月に回収された後は捨てられる運命だったフォスですが、未練が残りそして自分の為に金剛は必ず祈るという期待に感情が爆発。フォスの体には仏像の背中に輪のようなもの(光背)が浮き出ていました。もう誰の為でもない、自分だけの為に。そして邪魔をする宝石を粉にし、金剛を誰にも渡さない、自分のモノにしたい思いが強すぎるフォス。

確かに自分たち宝石を守るために何もできなかったフォスが、自分の力で今の環境を変えようと努力しているのに宝石たちに粉々にされたらそりゃ腹が立ちますよね。でも何故宝石たちは金剛の祈りにフォスに協力をしないのかも気になります。やはり金剛の祈りは無に返るということを知っていて、協力をしないからなのでしょうか。

そして高笑いするフォスも狂い始めました。『僕の為に祈った』っていうのも、祈りもフォスが抑えたから発動したものであって、金剛の意志で祈りをしたわけではないし、どちらかと言えばあれば強要である。そして『おまえさえいなければ』と言い放ったくせにまだ金剛の愛を感じ取っている。正に愛憎ではないでしょうか。

宝石たちにも愛されたい、金剛にも愛されたい。
これはまるで『NARUTO』に登場するうちはサスケのような立ち位置と似ていると思いました。

だけどあのムキムキ(犬)には叶わなかったですね。あっという間にフォスの体は粉々に砕かれました。しかしエクメアはフォスの修理を試みます。恐らく回収された場合でもどの道フォスを利用するつもりだったんでしょう。

200年の記憶は大事にと言っています。Wikiの宝石の国より、フォスが地上で宝石たちに掴まり粉々に砕かれた後220年が経過し、宝石たちが冬眠に入った折に金剛によって組み立て直されていると記載がありました。恐らく200年とは邪魔な宝石たちへの憎しみと金剛の祈りの記憶なんでしょう。



ここまで主人公がどん底にいるのも珍しい作品ではないでしょうか。今後の主人公の進む道、漫画だからこそできる結末とはどんなものか今後気になります。

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