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80年代後半から90年代の終わりまで、実働14年で1,500投球回。間違いなく、弱い時代のロッテオ…
物心ついてプロ野球に興味を持って以降、いつの時代にも「どこから見てもサラリーマン」といっ…
篠塚の打順は何番のイメージ? 3番? 6番? 私の中では圧倒的に「2番」だ。実は篠塚はそれ…
プロ野球選手の顔と名前をちゃんと覚えるようになった頃「かっこいい」と思った選手は、以前に…
華麗な守備で千葉ロッテマリーンズを支えた、小坂誠。巨人に移籍後はセカンドを守ることが増え…
本マガジンでは初めての外国人選手だ。しかし、阪神タイガースに所属したことがある外国人投手…
広島カープで背番号25と言えば、やはり新井貴浩。しかし、この人も印象深い。ユーティリティプレーヤーとして活躍し、引退後は二軍監督など指導者としてもチームに関わった木下である。 実は子供の頃、水谷や水沼、ライトルやガードナー、アイルランドといった選手の記憶がない。でも木下がセカンドを守っていたのは、しっかり覚えている。バリバリのレギュラーというわけではないけれど、なんだかんだでセカンドをメインに、たまにサードやショートを守っている。スタメンではなくても、試合終盤に守備から出場
横浜大洋ホエールズ・近藤貞雄監督による「スーパーカートリオ」の一角を占めた、加藤博一。 …
1985年の阪神タイガース優勝前夜とも言える1984年、先発ローテーションにはオルセンがいた。 …
子供の頃のテレビ観戦とはいえ、先発投手として第一線で活躍する遠藤一彦は、ひたすら格好良か…
西武ライオンズひと筋18年、その大半を守備職人として過ごしたのが上田浩明だ。 北陽高校出身…
近鉄バファローズで、吉井理人の前に抑えを務めていたのが石本だった。ただでさえ中継の少ない…
土橋監督時代の弱いヤクルトスワローズにおいて、リリーフの一角を担っていたのが阿井英二郎だ…