阿井英二郎
土橋監督時代の弱いヤクルトスワローズにおいて、リリーフの一角を担っていたのが阿井英二郎だった。
当時「急に出てきた投手」という印象をもっていたが、3年目の1985年に1軍デビューして、そのシーズンの44試合登板というのが、結果としてキャリアハイとなった。1985年が登板44試合(先発4)で投球回が105.0、1986年が登板43試合(先発2)で投球回が104.1で、イニングまたぎが当たり前だった。
しばらく見ないなと思ったらロッテに金銭トレードされるのだが、コミック誌「まんがスポーツ」の誰かの作品で、
「AIは勝つ」
⇨愛は勝つって誰が歌ってるか知ってます?
「KAN(打たれる音)」
……という感じでネタにされていたのが、妙に記憶に残っている。
高校野球の指導者になったあと、栗山英樹が監督に就任した日ハムに指導者として戻ってきたときは、栗山と阿井がそんなふうにつながっていることが、うれしく思った。
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