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社会課題の解決、ソーシャルビジネス、パッション(6/27/2023)

社会の課題を解決したいと本気で思っているなら、力をつけろ、技術を身に着けろ、専門性を磨け。パッションだけで問題を解決できるほど甘くない。というようなことを昔から聞いてきて(最近でもどこかで聞いた気がする)、確かにそうだなと納得していたことから、これまでの人生では技術を身に着けることに注力してきた。

そうしたら色々なことができるようにはなったし、お金もそれなりに稼げるような力もついたけど、その過程で自分が解決したい具体的な課題を見失ってしまった。というのも、色々な知見を身に着けたことによって、無駄に視野が広くなってしまい、何にパッションを持てばいいのかわからなくなっている。漫然と社会的課題の解決に携わりたいと考えていたけど、すべての社会課題の解決に携わるなんて神でもない限り不可能だし、いかなる社会的課題に、どういったポジションから、どのように関わっていくのか、スタンスを取らなければならない時期になってきたんだろう。

あらためて自分がこれまで何にパッションを抱いていたのか考えてみたけど、貧困家庭、難民、外国人、障碍者といったいわゆるマイノリティの人たちの手助けをしたいと昔から思っていた。彼らの助けになりたいと思って弁護士を目指したけど、個々人を手助けするだけじゃ根本的な解決にならないことに気づき、社会の制度やシステム、ビジネスを通じて根本的な解決を図ることができる可能性をソーシャルビジネスに見出した。ただ、具体的に根本的な解決手法は見つけられていない(見つけられたのであれば起業すべきだろう)。

個人の手助けをするだけじゃ根本的な解決にはならないとはいえ、彼らが抱えている課題を机上で教科書的に理解することは間違っていて、実際に彼らに会って、苦しみを知り、共感を持ってこそ初めて理解できるものはあるはずだし、そこから解決策を見いだせるかもしれない、と今では思っている。結局現場にこそ重要な情報は眠っているのであって、遠くから眺めているだけじゃ見つからない問題や解決の糸口が必ず見えてくるはず。そして、その問題に最も関心がある者こそ、そのような現場での情報にリアルタイムで触れているのであり、だからこそ彼らに問題解決を担わせるべき。こういう考え方は大学院のOrganising for Social Changeという授業で、オストロムのコモンズのガバナンスやタレブのSkin in the Gameに触れる中で学んだことだ。

何かを解決したい人は、その問題に強い関心を抱く必要があるわけだけど、これは後天的に獲得できるものなのか、よくわからない。ただ、その問題の当事者ではなくとも、苦しみを抱えている人たちと一緒の空間で時を過ごすことで、疑似的ではあるものの当事者性を獲得することができると信じているし、人間の共感能力はそれくらい強い力を持っていると思う。そういうわけで帰国したら実際に彼らに会いに行って自分のできることを探っていきたいと思う。


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