見出し画像

映画感想 / 大いなる自由

ネタバレを含みます。


この映画「大いなる自由」を観て湧いたこと。
自由と愛。
自由だから愛があるのか。
愛があるから自由になれるのか。
この作品から伝わってきたのは後者だ。
刑法175条により同性愛が禁止されていた社会の中で、自分のゲイとしての愛を貫いたハンス。
終盤、作中ではこの法律が改正された時代を迎える。
法の縛りから解放されて、身体的には自由を得た。
そうして刑務所から出所して向かったバーには”Grosse Freiheit(大いなる自由)”と書いてあった。
その盛り場では、ゲイとして自由に生を謳歌する男性達で溢れてた。
社交、お酒、音楽、セックス。
まさにハンスもそこで自由を謳歌できるという時に、ハンスはヴィクトルの居る刑務所に戻ろうとする。
目の前に広がる大いなる自由、新しい愛の可能性。
しかし、ハンスは、その中に身を投じるのではなく、自分が育んできた愛に忠実に生きていこうとする。
それが非人間的な不自由さを強いられる場所に戻る事であっても。

愛は不自由さを許容する事なのか?
(とすると、自由は愛を手放す事で成立するものなのか?)
愛と自由は二律背反だとは言わないが、それらは時に共存が難しいものなのかもしれない。
そんな複雑で単純な事だから、人は愛を美しく感じるのか。

出所して娑婆を見たハンスが悟った時、ヴィクトルとの未来や希望もあったかもしれない。
いろんな感情を抱えながら、自分を捕まえにくる警察官達を待ち座り込む姿は、とてもとても愛おしい。

観終わってみて、私自身の中にもある愛と自由の力強さや葛藤、いじらしさや憧れが湧いた。
その一方で、人権啓蒙のイメージを私はほとんど感じず好感が持てた。

これから自分が自由だ、と感じる時には思い出すようにしたい。
その背景に在るかもしれない、誰かへの愛や誰かからの愛を。
まあ自己愛もそこに含まれるかもしれないが。

ところで話は変わるが、ル・シネマ MIYASHITA。
渋谷の喧騒やカオスな家電量販店が同居する中で、地域も時間もトリップした様な異質な空間だった。
内装のカラーリング、ライティングがとても好き。
幕間のライトの消え方もロマンチックだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?