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PTA創成期の目的とは

『父母と先生の会——教育民主化の手引』から

 日本の小中学校にPTAが作られたのは戦後間もない1947年のことです。前年に来日したCIE(アメリカ教育使節団)がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に提出した報告書に基づいて、文部省がパンフレット『父母と先生の会——教育民主化の手引』を作成。それが1947年3月に全国に配布されたことをきっかけとして一斉に結成が進みました。
 この『父母と先生の会——教育民主化の手引』のタイトルが示しているように、導入時のPTAの目的は(様々な議論がありますが)、一言でいえば「教育の民主化」だったと考えられます。

 このパンフレット冒頭の「一、趣旨と目的」では、「子どもたちが正しく健やかに育っていくためには、家庭と学校と社会とが、その教育の責任を分け合い」、「子どもたちの幸福のためにどうすれば一番よいか真剣に考えその実現に努力し」、「必要であれば子どもたちの保護のための法律や規則を、国や公共団体につくってもらうように請願する」など、「強力に活動する責任がある」、「これは明日の日本。民主主義日本をつくり上げていくために是非私達がしなければならないことの一つ」と述べられています。
 また、「二、『父母と先生の会』をつくろう」では、そのあり方として、「今迄も学校と家庭の間には」「後援会とか、保護者会とかが」あったが、「多くのものは学校設備や催しの寄附や後援をすることがその主な仕事」であった。「これからは、今迄の父兄会などのやり方を充分反省し」、「先生と父母が平等な立場に立った新しい組織を作るのがよい」と述べられています。「後援会」・「保護者会」のあり方の反省の上で、先生と父母が平等な立場で活動するのが「父母と先生の会」すなわちPTAだと考えられていました。
 さらに、「三、『父母と先生の会』をどうして作るか」では、「この会の趣旨が充分理解されて、民論に依って下から盛り上る力でつくられることが何よりも大切である」と、主体的に作られることの重要性が述べられています。

 GHQの提案を受けて文部省が目指した「父母と先生の会」とは、民主主義日本をつくるために、家庭と学校と社会とが教育の責任を分け合い、先生と父母が平等な立場に立って、子どもたちの幸福のためにどうすれば一番よいか真剣に考えその実現に努力するために、下から盛り上る力でつくられる新しい団体であったといえるでしょう。

第一次『「父母と先生の会」(PTA)参考規約』から

 さらに文部省は、パンフレット配布の翌年1948年12月に、この理念を具体的に盛り込んだPTA規約策定の参考になるものとして、『「父母と先生の会」(PTA)参考規約』を、全国の都道府県教育委員会に送付しました。この「参考規約」の「目的」には以下の10項目が挙げられています。

第二章 目的
第二条 本会は、左の諸項を目的とする。
一、 家庭、学校及び社会における児童青少年の福祉を増進する。
二、 家庭生活及び社会生活の水準を高め、民主社会における市民の権利と義務とに関する理解を促すために、父母に対して成人教育を盛んにする。
三、 新しい民主的教育に対する理解を深め、これを推進する。
四、 家庭と学校との関係を一層緊密にし、児童青少年の訓育について、父母と教員とが聡明な協力をするようにする。
五、 父母と教員と一般社会の協力を促進して、児童青少年の心身の健全な発達をはかる。
六、 学校の教育的環境の整備をはかる。
七、 児童青少年の補導、保護並びに福祉に関する法律の実施につとめ、さらに新しい適正な法律をつくることに協力する。
八、 適当な法律上の手段により、公立学校に対する、公費による適正な支持を確保することに協力する。
九、 その地域における社会教育の振興をたすける。
十、 国際親善につとめる。

『「父母と先生の会」(PTA)参考規約』1948 文部省

 この1948年の参考規約では、パンフレットにもあったように、教育の民主化のためにPTAを中心に家庭と学校と社会で学び、協力して児童青少年の福祉の増進に努めることが目的とされています。

父母と教員の聡明な協力

 1948年の参考規約について、山住正己氏は著書『PTAで教育を考える』(1982)の中で、10項目の目的があげられている中でも、その基礎となるのが「父母と教員の聡明な協力」であり、これがPTAらしさの決め手とだと指摘しています。

 目的は全部で10項目あげられている。児童青年の福祉を増進するとか、市民の権利と義務についての理解を促すために父母に対して成人教育を行うとか、新しい民主的教育の理解と推進、さらには国際親善に努めるといったことまで、そこには並んでいるが、いま読みなおしてみると、第四番目にあげられている、この「協力」のことがもっとも重要であるように思える。父母と教師との聡明な協力がPTA活動の基礎になければ、ほかのさまざまな目的は、とうてい実現できないからだ。
 今日、PTAの最大の問題は、この聡明な協力がどれだけ実現しているかというところにある。子どもの教育にたいして、教師も父母もともに聡明な関係をつくりあげようと努力しているかどうか。これがPTAが、PTAらしくなっているかどうか、のきめ手である。

山住正己『PTAで教育を考える』 晩成書房 pp.10-1

 また、多くのPTAが発足して5年後の文部省の報告書『昭和二十七年度社会教育の現状』(文部省社会教育局)では、その冒頭にPTAの「意義」として、次のように書かれています。少し長いですがその部分の全てを引用します。

1 意義
 教育の重要な目的の一つは、社会に対する適応性を養成し、社会をよりよくする能力を助成することにある。これまでの教育は、子供の理解力など少しも考慮せずに、おとながつくった教科課程を生徒につめこむ以外には、なんの目あてもなかったのである。子供の心身の成長についての理解などはほとんどなかった。しかし新教育では、生徒が自分の経験によって、現実の社会に生活してゆく能力を養成するように、指導することを主眼点としている。一方には社会における厳しすぎる嵐から生徒をまもり、また一方には社会の複雑すぎる動きを整理し、単純化して、子供がこれに耐えてゆかれるようにしてやることが、教育の一の目的である。
 この見地からすれば社会が全体として学校である。この社会学校で、子供をもっとも愛し、もっとも理解するものは父母と先生である。もしこの二つの最大の力が協力すれば、子供が生活するどんな場所も、どんな時間もすべてあたたかい配慮によってみたされるであろう。さらにまた、子供たちのしあわせのためにする父母と先生の協力は、おのずから子供たちのために、より良い父母になり子供たちのためによりよい先生になろうとする真剣な努力となっていくであろう。結局PTAは、教育民主化にも成人教育の推進にも絶対に必要なものである。

文部省社会教育局『昭和二十七年度社会教育の現状』1952

 ここでは、教育の目的を達成するためには、父母と先生の協力によって子どもの生活を配慮で満たすとともに、その協力がそれぞれの真剣な努力に繋がることをPTAに期待しています。

 ここまで「父母と先生の会(PTA)が発足した当時の資料から「目的」を中心に見てきました。新しい組織であるPTAは、先生と保護者が平等な立場に立ち、聡明な協力のもと、児童青少年の福祉の増進に努めるために、教育の民主化と成人教育の推進をする団体として期待されていたことが読み取れます。

歴史的なねじれ

 川端裕人氏は2008年の著書『PTA再活用論』の中で、PTAの成り立ちを振り返り、

僕たちは、新世紀のPTAを生きている。そこで、何をすべきか考える時、やはり『原点』には自覚的でありたい

川端裕人『PTA再活用論』中央公論新社 p.146

と述べています。
しかし、さらに川端氏は

PTAの歴史は幾重にも捻じれている

同書 p.146

と続けます。

 その「捻じれ」の最初の一つは、文部省が主導して一斉に結成されたというPTA発足の経緯だと考えられます。
 パンフレット『父母と先生の会——教育民主化の手引』が配布された翌年の1948年4月に文部省が行なった「全国PTA実態調査」では、全国の小学校の84%、中学校の80%にPTAがすでに結成されていて(文部省社会教育局『昭和二十三年四月十五日現在のPTA実態調査報告』1950)、ほんの1年の間に、全国で一斉にPTAが結成されたことがわかります。
 文部省の報告書には、このように一斉に結成が進められたため、「今迄の父兄会などのやり方を十分反省し」、「民論に依って下から盛り上る力でつくられる」という意図とは裏腹に、実態としては、学校後援会や保護者会の看板の塗り替えに過ぎなかったなど、戦前の家庭と学校の関係を払拭できていない状況への苦言が以下のように書かれています。

(PTA設立の)動機が真に新教育の観点に立って児童青少年の福祉を考え、且旧来の封建的ポス的後援会に対する反省憂慮から出発したものであれば、その結成過程も教育民主化の線にそつて真に民主的な教育的団体としてのPTAの誕生を見ているが、動機が曖昧なものは、その結成過程も、形式的であって、出来上ったものが実質的に見てPTAとはいえないものが多い実情である。発起人となったものは、学校側及び旧後援会、父兄会の役員が圧倒的であり、本当に各父母が、PTAというものを理解した上で、民主的に皆の合意と協力とによってできた場合は少なく、一部のものの主導的振舞から生れたものが多いことは、好ましくない事柄だと思う

文部省社会教育局『昭和二十三年四月十五日現在のPTA 実態調査報告』1950
 本来の学校後援会的性格が何らかの形で払拭され切らずに現在に及んでいるということ、換言するならば日本のPTAは依然として後援会、保護者会の城を脱していないのではないかとの声も聞いており、甚だしきに至っては学校当事者さえPTAは不用であり学校後援会があれば十分であるという実情に至っては、この際我々としてもう一度その本質に立返って、大いに反省して見る必要があるように思われる
文部省社会教育局『昭和二十七年度社会教育の現状』1957

 また、教員の参加についても「父母と教員の聡明な協力」という理想とは裏腹に、教員のPTAに対する無関心が指摘されています。

 教師の無関心。学校予算が充実するにつれて、いわゆるPTAの必要性と利用価値減退に伴って益々この傾向が助長されつヽある
文部省社会教育局『昭和二十七年度社会教育の現状』1952
教師の理解と協力
 将来、日本のPTAが発展すると否とは、教師の理解と協力如何にかかっているといっても差支えない。この意味から、今後益々、その本質理解のための啓蒙が必要であり、特に、教員養成大学におけるPTAに関する講座の設置が望まれる。

文部省社会教育局『昭和二十八年度社会教育の現状』1953

 このような経緯を宮原誠一氏は1969年に著書『PTA入門』で、以下のようにまとめています。

 昭和22年から23年のはじめにかけてといえば、まだいったいに不安と混乱のさなかでした……六・三制の発足。教室不足。二部授業・三部授業。青空教室。新制中学校の校舎建築……地域のなかでは、やつぎばやの模様がえで、旧有力者が右往左往し、しばしば力を発揮します。こういう状態のところで、PTAがいっきょにつくられたとすれば、それがどういうものであったかは、あらかた察しがつくというものです(中略)学校後援会や父兄会がカンバンをぬりかえてPTAということになったという、まさにこの発足が、いまだに尾をひいているのですから。そろそろ20年にもなろうというのに、いまだにPTAをなにか学校のものと考える風がぬけません。PTAとは学校に協力する会なのだと考えているのです。その観念が、親にあり、教師にあり、校長にある……つまり、依然としてPTAの多くは学校後援会なのです。子どもの幸福のために有志の親と有志の教師がつくる民間運動の組織という感覚は、残念ながら、いっぱんにPTA会員のあいだにそだっているとはいえません。
宮原誠一『PTA入門』1969=1990(現代教育101選)  国土社 pp.55-7

 宮原氏の指摘から50年、多くのPTAが結成されて70年。「PTAとは学校に協力する会」「依然としてPTAの多くは学校後援会」「子どもの幸福のために有志の親と有志の教師がつくる民間運動の組織という感覚は……そだって」いないまま、「この発足がいまだに尾をひいて」、「保護者会」「学校後援会」の認識が続いてきているのではないでしょうか。そして、このことが、現在「PTA問題」として指摘されることにも連なる課題となっていると考えられます。

 川端氏は『PTA再活用論』の中でPTA史を振り返り、そのまとめとして以下のように述べています。

PTAの初期イメージの中に、「強制ではない自由な入退会」と「会員の成人教育(生涯学習)を通じての、子どもたちの豊かな環境づくり」ということが含まれていたことは注目に値する。これらはその後、十分に「こなされず」に、今日に至るのだから。
 そして、このようないきさつを理解した上で、ぼくたちは「今の問題」に立ち向かわなければならない。
川端裕人『PTA再活用論』中央公論新社 p.148

PTA創成期の目的を踏まえて「今の問題」に立ち向かう

 PTAの創成期には、先生と保護者が平等な立場に立ち、聡明な協力のもと、児童青少年の福祉の増進に努めるために、教育の民主化と成人教育の推進をする団体として期待されていたPTA。しかし現在、そのあり方が「社会問題」として「PTA問題」とも呼ばれ、新聞・テレビなどのマスコミでも取り上げられています。
 近年のいわゆる「PTA問題」として指摘されているものは「強制」の問題と整理しました。パンフレット『父母と先生の会——教育民主化の手引』では、「強制」のない民主的な団体とされています。

骨組ができたならば、学校在籍の児童生徒の父母全部に対して会員の募集を始めることとする。会員は強制ではないが、学校の先生と児童生徒の父母の大部分が参加することとなるであろう。(中略)「父母と先生の会」は完全に民主的な団体であるから、学校の先生だけが指導するようなものであってらない。父母も、校長も、先生も、有力者も、平等の立場で会員として参加し、会の運営を民主的に進めていくこととするがよい。

文部省『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』1947

 PTA創成期の目的を踏まえて「今の問題」に立ち向かうとすれば、まずは「強制」のない運営をその前提として、さらに「今の問題」に対処できるような「今の目的」を練り上げていくことが必要だと考えます。

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