1/13 2024 折坂悠太「針の穴」

4時頃起床。晴れのち雨。昼夜逆転の影響か、まとまった睡眠をとれていない。朝食はウィンナー4本、スクランブルエッグ、納豆。
雑用一束を片した後、書斎の床に散っていた植物の葉を捨て、シンク、作業台、コンロ周りの大掃除。
正午過ぎ、夕方から映画を見に行く約束をしていたT君より連絡。
早めに横浜に集合し、中華料理店を中心に探し回ったが、結局、いつもの天一に落ち着いた。二人とも、こってりラーメンに唐揚げ、チャーハンのスペシャルセット。
映画の観賞後、アンティコカフェで少し話をした。自分の元来のサボり癖を治すため、1日の始まりにその日することを言い、終わりに、その報告をする会を提案してくれた。
中学生の頃、百均で買ってきた小さなメモ帳に、その日1日のやることリストを書いたことがある。そのリストを数日書いた記憶があるが、肝心のタスクは、初日から何一つ消化されなかった。自分で言うのもなんだが、あの頃から今日という日まで、自分の計画的行動能力というものは、ほとんど何も変わっていない。
これが続けられるか不安はあるが、せっかく提案をしてくれたし、自分も改善したい気持ちは山ほどあるので(本当に)、とりあえず頑張ってみようと思う。

受難の日々と、その中でも前に進むことを淡々と語っている曲で、これを初めて聴いた時、息が詰まるような日々を送っていた自分の胸が軽くなり、視界が開けたのを感じた。


サビでは、自身の困難な状況を、「針の穴」を通す難しさに喩えて伝えている。将来の見通しが立たず、生活も苦しい中で、鬱屈とした気持ちになっていた。ただそれは自分が招いた状況なので、弱音を吐いてはいけないと思っていた。この歌詞を聴いた時に、弱音を吐くのと、困難な状況を認識して受け入れ、声にすることは違うものなのだと気付かされた。自分の気持ちを軽やかに言葉にしてくれて、とても楽になった。

今私が生きることは
針の穴を通すようなこと
強い風の吹く所で
針の穴を通すようなことだよ

折坂悠太「針の穴」


「嵐がもう少しで来て、より困難な状況に見舞われるぞ。」
「朝日という希望は、深く潜る鯨の位置にあるほど遥遠で、拝めるのはまだ先だぞ。」
天使も悪魔もごちゃごちゃ言ってくる。路肩、波止場、どちらも海に漕ぎ出していない。そんな奴らの「お言葉」には聞く耳を持たず、ユーモアで返す軽やかさと気概に、とても勇気付けられ、同じように振る舞いたいと思わされる。

路肩の天使が 私に言うことにゃ
程なくここらは 嵐の只中さ
そんなことわかってるから
手綱持たしてくれよ

折坂悠太「針の穴」

波止場の悪魔が 私に言うことにゃ
望めど朝日は 鯨の腹の中
そんなことわかってるから
櫂を投げてくれよ

折坂悠太「針の穴」

この曲には、風が強く吹き、雨が激しく降る中、大海原を前にしながら、岬の上で自由に、自分流のダンスを踊っているというイメージがある。歌詞に、嵐や強風、稲妻、大波などが登場するので、それらの影響だと思う。(手綱、櫂、船の上という歌詞が出てくるから、嵐の中を小舟に乗っているイメージの方が実像には近いのかもしれないが・・・)

高校生の頃、一度大雨の中を飛び出して、全身で雨を感じたことがある。その時の心地良さと解放感を覚えている。この曲を聴くと、その感覚を思い出す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?