見出し画像

~13歳で経験した小児がん~自分のせいじゃない!「仕方ない理由で諦めるのがすごくきつかった

中学2年生の時に右の骨盤にユーイング肉腫ができて、そこから10ヶ月間手術と陽子線と抗がん剤などの治療をしていました。今は大学に通いながら、子どもの頃から大好きだった釣りを継続。アングラーとしても活動しています。


経験した小児がん“ユーイング肉腫”

小児がんに気がづいたキッカケを教えてください

入院する1ヶ月ぐらい前から、ずっと右足が痛かったんです。でも当時中学2年生で、ちょうど成長期だったので、成長痛かなって思ってて。「これ私、身長伸びるんだ!」とか超のん気に考えていたら、高熱が出るようになったり。それで病院に行ったのがキッカケです。病院には何軒か行ったんですけど、どこも分からなくて。最後に近所の少し大きめの病院に行った時に、MRIと血液検査をして、小児がんだと分かりました。

どのように病気を伝えられましたか?

検査結果が出た後、多分先生たちから母に伝えられてたんですよね。私は直接言われてないんですけど、母がてんぱっていたり、先生たちの行動も慌ただしくなったりしたので、逆に私は冷静になってしまって、「これはそう言うことなんだ」と察しました。特に母は、私が病気になるまで泣いたところを見たことがなかったんです、一度も。そんな母が泣いていて。自分が病気だったこと以上に、それが衝撃的だったんです。
 
ちゃんと“小児がん”だと言われたのは、手術が終わったあとでした。実際は、“ユーイング肉腫”と聞いた時点で、「“小児がん”っていうことですよね」って分かってたんですけど。結構大人より、子どもの方が冷静だったりするんだなって思いました。

ネットやSNSで病名を検索しようと思ったことはなかったですか?

最初、母に病名を調べるなって言われていて、本当に調べてなかったんです。けどある日、テレビで“ユーイング肉腫”についてやっていて、それが“がん”なのだと、ハッキリ知ることになりました。その後1回、調べたことがあります。スマホで調べて、「あーやっぱり“小児がん”か」って。でももう治療も進んじゃっていましたし、淡々と進んでいく現実を受け入れていました。

病室から空を眺めた日々

絶望を感じた瞬間…病気で夢が途絶えるかも

手術の方法を提案された時が、1番しんどかった。抗がん剤の副作用よりも多分しんどかった。精神的にきました。手術で骨盤を取ったら、歩けなくなる可能性があると言われたんです。

幼いころから釣りが大好きで、病気が分かった当時は釣りのアイドルを目指して活動していたところでした。そんなタイミングで、将来釣りができないって言われてしまって。そこで私は、本当にいままでもこれからも、一生ないほどの絶望感に襲われました。

夢を諦めるのが辛かった。自分ではどうにもできないことじゃないですか。どうしても仕方がない理由で諦めなきゃいけなかったから…すごいきつかったですね。

いま足の状態はいかがですか?

抗がん剤もいい方向に効いてくれて、いまは歩けるようになりました。夢は変わりましたが、大好きな釣りにも行けています。ただやっぱり、腰痛はずっと続いていて、いい時もあるんですけど、釣りをやったりアクティブに動いてる中で、そこは唯一悩ましいところですね。

最初、手術したら釣りができなくなるかもと言われていたことを思うと、いま釣りができているのは恵まれていると思います。でもどうしても、時々悔しくなるんです。なんで?(治療)終わったじゃん!って。思いません?なんで終わったのに、なんでこんなに(痛み)残ってるんだろうって。うーん、悔しいです。

小児がんになって知った“退院して終わりじゃないんだ”

退院したらすぐ学校に行けるっていうわけでもないんです。1~2週間ぐらい休んで、中2で学校に戻りました。でも、学校に戻っても、すぐクラスになじめるわけではなくて…正直避けられていました。孤立していましたね。

0歳から友達の子とか小中一緒の子もいたんですけど、みんな多分、どう接したらいいか分からなかったんだと思います。抗がん剤の影響で髪の毛が抜けて坊主の時だったので。カツラ被るのがあんまり好きじゃなくて、学校に行く時もバンダナを巻いて行っていたんですよね。その見た目もあって、やっぱり難しかったんですかね。

結局、私の方から徐々に声をかけていって、中3に上がる頃には、友だちと遊びに行ったり、そういう放課後を楽しめるようになったんですけどね。

晩期合併症(後遺症)の影響はありますか?

私、手術で骨盤の一部切除していて、その骨の切り方によって骨がどんどん突き出てきちゃったり、それで手術したり。あとは、抗がん剤の影響で慢性貧血があったり。当時は「退院して終わりじゃないんだな…」と思っていたこともありました。晩期合併症のことは、意外と知らない人が多いんじゃないかと思います。自分もがんにならなければ、知らなかったと思います、きっと。

発症から5年、私はいま

最近になって、やっとこういう話を泣かずにできるようにもなりました。いままですごい辛かったからなのかなんのか、私の中でもよく分からないんですけど、自分が経験したことを振り返って話すと、毎回泣いていたんです。前向きになれたのか成長したのか…やっと経験として、自分の強さとして、受け入れられるようになった気がします。

もう不安はないと言ったら嘘になるかもしれません。もしかしたらまたいつか発症するかもしれないし。手術で骨盤を削っていて、人と骨盤の形も違うから、年を重ねるにつれてさらに痛みが出てきたりもするんだろうなって。だけどそれは、万が一なった時に考えればいいと思っています。“なるかもしれない”で、ずっと不安に抱えているよりは、そう思って生きたいなと思って。

いま闘病する仲間たちへ、経験から伝えたいこと

私、入院中なにかと、小さな目標を達成することが力になっていたんです。例えば、手術が終わって3日後ぐらいには、車椅子に乗って動いてもいいよって言われていて、でも全身痛いわけで。ただどうしてもスタバの新作が飲みたかった…それだけなんですけど、それだけのために、私動けたんです。いざ飲んだら甘ったるくて、半分飲んでやめたんですけどね(笑)

こういう小さな目標でもいいから、1個でもあれば、辛いことにも変わりないし痛いことにも変わりないけど、何かを動かす目標にはなるなと、強く思って。そういういま頑張っている子たちの力になるような経験を、伝えていきたいと思います。

いま実際に、思春期で入院している子たちの気持ちに寄り添える取り組みを考えています。入院したら、急に周りの友達とは別の世界に行って、病室っていう狭い1つの部屋で何人もの人と暮らして。年齢も違えば、住んでいたところも違う子たちが集まる。ずっと親と一緒にいる。関わる人たちが、看護師さん・お医者さん・家族。学校に通っていたら、周りに同年代の生徒がたくさんいるはずなんですけど、入院中はいない。だからこそ、話せないことがどんどん増えてモヤモヤする。当時私には、そんな実感がありました。

例えば、男性看護師さんが、「あの人イケメンだよね」っていうのを、思春期のうちって親に話しづらいんですよね。そういう小さなことでもいいから、同い年とだから冗談を言い合えるみたいな…そういうことを入院中にできる場を作って、ちょっとでも辛い気持ちを軽くできればなって。自分が入院してた時に、そういう場所があったらいいのにといいなと思っていたからこそ、大学生のうちに絶対に実現したいと思って計画中です。

見据える未来

大学の勉強はもちろん、釣りの仕事やボランティアもしていて、最終的には起業を目標にしています。困難を抱えている子どもたちの夢を一緒に叶えるお手伝いをしたいです。具体的には、手術、抗がん剤とか、病気の治療によって歩けなくなった子、やりたいことができない状況になった子、生まれつきの事情がある子や経済的に苦しい子など。少しでも、その子の人生が華やかに、その子の気持ちを救える存在になる。

それが今の私の最終目標です。

~ゴールドリボンウオーキングは2007年東京からスタートした小児がんの子どもたちとそのご家族を応援するチャリティイベントです~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?