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閑話休題 最果タヒ『百人一首としての感情』

最果さんが百人一首の歌の解釈を味わい、そこから浮かび上がるイメージでしたためられた随想、というのがこの本の解説でしょうか。

いつも机の上のすぐ手が届くところに、この本を置いています。考えるのに疲れたり、仕事と仕事の合間のコーヒー時間であったり、そういうときに開きます。冒頭から読むわけでなく、適当に気が向くまま好きなページを開くのです。

私は、最果さんの詩ももちろん好きですが、彼女の文章はもっと好きです。常に「私」という主語が明確だし、その「私」はいつも正直で、平等です。それゆえなのか、どこか文章に物悲しさを帯び、読み手の僕はしんみり静かに「私」の言葉を味わうのです。

今日、開いたページに取り上げられた歌は、以下。

朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらわれわたる瀬々の網代木

権中納言定頼(藤原定頼)の歌

夜がだんだんと明けてきた。
宇治川に朝霧がわたり、それが次第に薄れていくと、川の浅瀬に打った網代木(杭)が見えてきた。

だいたいこんな意味になります。最果さんは、この歌を次のように読みます。

ただただ目の前で、夜が終わり、朝がやってくる。それを静画として切り取ることはできない。網代木というのは、魚を取るための罠を設置するため、浅瀬にうちつけた杭のことだ。霧がだんだん途切れていく、そのすきまから杭が、のぞいた。霧というのは世界がどこで終わるのか、ということすら曖昧にするから、その先に、杭が見えたとき、ある意味ではそれが世界の果てのようにも見える。次第に霧はほとんどが消え、目の前に、特別であったはずの杭があちこちで並んで立っているのが見えるのだろう。ああ、これはただの網代木か、とそこでふっと気づくのだ。戻ってきたのかもしれない、世界が私のところに、戻ってきていた。気づくとすっかり、「朝」になっていた。気づくと、すっかり、私は、停止ボタンを押していた。

夜が明け網代木が見えた、というこの歌の枠組みの奥の奥を捉えて、かくも情緒的・幻想的に、読み上げるのです。一種魔法ではないかと思う。ちなみに後半に行くにしたがって読点が意識的に使われているのも、朦朧とした意識から覚醒していく読み手である「私」を物語っているようで、心地よい官能。

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「石山寺縁起絵巻」より

作者・藤原定頼が生きた時代は今から1000年ほど前の平安時代中期。この頃、宇治川は大きな湖に接続しいました。巨椋池(大池とも)といいます。平安京がまるまる入るほどの大きな湖です。そこを渡る巨大な霧、真っ白に包まれ、前後左右の区別もつきにく曖昧な世界が次第にあけていく有様は、まるで彼岸から此岸への往来のようでしょう。つまり、今の宇治川とは比較にならないほど、満々とした水の世界が広がっていたのが定頼の頃の宇治川の風景で、それを見ながらこれが詠まれたということなのです。

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「都名所図会」

実は、宇治は異界との接点のようにイメージされるときがあります。公家や天皇の別荘地でもあるし、平等院のような極楽浄土を思わせる宗教施設もある。このような背景も、この歌にある宇治川幻想に作用していると思われます。

このような歴史的な側面も、きっと最果さんは歌の中から自然と読み出してしまうのでしょう。空気とか、匂いとか、音とか、定頼がそこにいた環境そのものを、最果さんは嗅ぎ取ってしまうのでしょう。まるで呪術者のように。だから私は彼女が好きなのです。




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