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入澤美時『考える人びと』(双葉社、2001)を読む

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一線で活躍する専門家たちに博覧強記の編集者・入澤美時が鋭く切り込む。 インタビュー集を読んでいきます。
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#考える人びと

入澤美時『考えるひとびと』より ー網野善彦・豊かになって失われていくこと。

人生を変える、という言い方は大袈裟ですが、自分の考え方を根本的に変えるきっかけになった本があります。入澤美時『考える人びと この10人の激しさが、思想だ。』(双葉社、2001)です。 網野善彦、伊沢綋生、安藤邦廣、大西廣、加藤典洋、根深誠、森繁哉、芳村俊一、森山大道、吉本隆明のインタビュー集で、当時ありとあらゆる分野の一線にいた方々が集結しております。この本が出版されたのは2001年。私が21歳で、たしか池袋のリブロで見つけて購入したように思います。値段も2500円で、この

入澤美時『考えるひとびと』より ー入澤美時「思想はいま、どこに宿るか」

本書の出版年は2001年9月30日。今からおよそ20年前です。当時、私はちょうど20歳で、おぼろげながら研究を仕事にできないかと考え始めた時期でした。今どんなことが人文学の分野で話題にされているんだろう、それに触れるために本書を購入したようにおもいます。網野善彦や大西廣、森山大道など、当時傾倒していた方々が載っているということも重要でした。しかし当時は、ここに書いてあることの半分も理解できていなかったようです。本書は当時の学会あるいは社会そのものに対して対抗的で、ラディカルな

入澤美時『考えるひとびと』より ー加藤典洋・”今の私”で考える意味

文芸批評を行う加藤典洋は、”私利私欲”という言葉をキーワードに、今の私の地平から物事を考え出すことの重要性を主張します。 私は、文章を読むときに色々書き込みをします。知らない言葉には、脇にその意味を書き込みます。共感できる部分には丸をつけ、最重要だと思ったところには二重丸をつけます。そして自分とは合わない違和感を覚えるところには三角をつけます。実は今日のこの文章は、三角が非常に多かった。例えば次のような部分。 インタビュアーの入澤は、加藤に戦後の日本が背負っている罪や解決

入澤美時『考えるひとびと』より ー大西廣・全てのイメージは等価

美術史家の大西廣の仕事は徹底しています。一つの問題をとことんまで追い詰め、深堀りし、いつしか極めて大きな構想と世界観を見せてくれるのです。そのため、連載などの場合では、ひとつのキーワードをめぐっていきつもどりつしながら考えるスタイルが見受けられます。前回号の結論が、新たな問題を呼びだし、それらが渾然一体となって新たな思考が重ねられるのです。考え続ける人、というのが私の大西廣のイメージです。 大西の美術をめぐる主張で特徴的なのは、”絵の居場所”という言葉に象徴されるように、本

入澤美時『考えるひとびと』より ー伊沢紘生・”競争の裏側の論理”

白山をフィールドに、ニホンザルの調査・研究を行った伊沢紘生のインタビュー。 サルは社会的な動物であり、グループを作って生活し、そのグループにはボスがいて、そのボスを補佐する役割のサルがいて、そんな有力なサルの周りには、たくさんのメスザルがいてハーレムを作って、のようなイメージがありました。人間ととても類似した組織を構築するのがサルであり、むしろそれはサルの知能の高さを示す一つの指標でもある、という漠然とした思い込みがありました。 しかし伊沢さんは、これとは全く異なるサルの

入澤美時『考えるひとびと』より ー安藤邦廣・思えばあたりまえのこと

建築史研究者の安藤邦廣は、現代建築家でもあります。彼の特徴は、板倉構法の住宅利用です。この工法は、板倉という文字通り、もともと正倉院校倉などで利用されてきたものです。木材の柱の側面に溝を彫り、その溝にそって横板を落としこむことでそのまま壁とします。木材を連結する仕口や継手といった伝統工法も取り入れ、古来あった方式を再評価しつつ、法定された建築基準も満たそうとするもの。 もう現代では完璧に認知され、実践例も増えているようですが、刊行当時はまだそれほどでもなかったのか、インタビ