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できないかもしれないけどね。     できたらいいね。

今 何をしたらいいのか・・

今、こんなふうにやることが なくなるとは 思いませんでした。
昔は 夢に向かって がむしゃらに 歩んできました。
何もなくなった今 虚しさだけが 私の心に ぽっかりと 穴が空いたようです。 薄暗い 光だけが 灯っているようです。

まるで 先が見えない 薄暗いトンネルを 走っているようです。

障害で生まれた私は 常に 障害に負けてたまるかと心を燃やしていました。67年間 まっしぐらに 走ってきました。
それなりに物事を自分なりにやり抜いてきたつもりです。

しかし、
今、何をして良いのか・・

自分を見失い、ただただ 日々が 過ぎ去っていくばかりです。
焦ることなどないのでしょうが、気持ちがなぜか、せわしいです。

焦れば焦るほど心が空回りしています。
行き先が 見つからないまま ゆっくりと走り続けている 自分が います 。
年齢的にも、何をするにしても 目標に向かって 行くには 残された時間が 短すぎて 障害のある私にとっては できるかどうか 分かりません。
自信がありません。
 体力的にも  衰えていくスピードが時間の経過とともに 早まってきている恐怖も感じます。
そんなことを 考えれば考えるほど 臆病に なって事を起こすことに 躊躇 するばかりです。

人として 普通の 高齢者に やがて訪れてくる 老いからくる 体力の衰えではなく 僕らにおいてかかえる厄介なこととして 人に手伝ってもらわなければ 何もできないこの身体では 余計に 側に 誰かがいてくれないとできないこと などを考えてしまいます。

前に行くことを 躊躇 します。 残り少ない 人生に共に 歩んでくれるような人を 求めるのは もう 難しいだろう。
 ただただ 人生の 終わりを 待たなければ いけないのでしょうか?
どうすればこの環境で夢に向かって立ち上がれるのか?

本当に 心が 沈むばかりです。
人生の総仕上げとし、 せめてわずかでも、しあわせな老いを感じていきたい。
障害者として 生まれてきて やってもらうばかりの 人生ですが
1度ぐらいは 普通の 生活の中 障害を感じさせない 生活を送りたい 。
我慢なくお互いに気を使わない ような 生活が送りたい 。
それが 今の私の 夢であり 願いでもあります。

障害を 乗り越えたと言える 人生を 送りたい。

それは、どうすれば 良いか分からない。
障害の身体を抱え 一人で暮らして 行かなくてはいけない 自分自身は 寂しいものです 。
この 寂しいこの僕に・・
ほんのわずかでも
 短い間でも 構わないです
 そばにいて 寄り添ってくれる 人が 欲しいです。


~介護者ではなく芯からの寄り添ってくれる人~

これが 今の真の願いです。

できないかもしれないけどね。できたらいいね。

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