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一枚の自分史:想い出の母の刺し子の着物

2002年8月の暑い盛り
9.11同時多発テロから一年になろうとしていた。
娘は暑い中を黒いスーツで就職活動に明け暮れていました。
「優子の着物縫ったから届けに来たよ」
昼休みに母が職場までやってきました。

その時のこと、昨日のように覚えています。

何も、こんな暑い時に持ってこなくてもいいのに・・・
昼休みではゆっくり話す暇もないやん。

しかも、袷やし・・・
なんで今なん?わざわざ・・・?

それが母に縫ってもらった最後のきものになるとは
その時はつゆ知らず・・・。

刺し子の着物でした。
一反をひと針、ひと針刺してから縫い上げたものでした。
だから、すぐに見せたかったのだろうな・・・。

着物が好きで
人に頼まれると気軽に
引き受けて縫っていました。

元々
福井の山の中から東京に出て
東京高等技芸学校で洋裁を学んでいます。
洋裁も和裁も筋金が入っていました。

そんな母も寄る年波には勝てなかったのか
その1年前ぐらいだったか
縫ってもらった襦袢に
待ち針が残されているという事件があり
私のだったからよかった
もう、人のものを縫うのは止めるようにと説得をして
預かっていた反物は、事情を話してお返しをしました。

大分ショックだったらしく
暫くはしょんぼりしていたけれど
いい機会だから、これからは
私や孫娘のものだけを縫ってほしいというと
張り切ってまた縫い始めた。

手仕事がとことん好きな人でした。

花嫁の打掛に刺繍をして作品展に出品したり
着物に手書きを染め付けたり、袋物もプロでした。

そんな人が
リューマチという病に侵されて手が動かなくなります。
唯一の楽しみをいきなり取り上げられて
どう暮らしていたのでしょう。
あの世代の人はなんでも我慢してしまう。
気丈に一人で頑張っていました。

そんな状態で長く続けられるわけがない。
ある日、あたふたと迎えに行くことになります。
後は、坂道を転げるように心身ともに弱っていきました。

その頃、留学生に成人のお祝いに
振袖を着せるボランティアをしていました。

日本の親が娘のために用意した特別な着物を
親の思いと一緒に異国で頑張っている留学生たちに着せる。

タンスに眠っている着物を寄贈していただいて着せていました。

そのことを母は喜んでいて、いろいろと手伝ってくれました。

そんな場で刺し子の着物を着ているところを見せたくて
翌々年の1月の振袖の会で着ることにしました。

その頃、リューマチが悪化して入院し、介護状態になっていました。
退院しても、家には帰れずに、老健施設で暮らしていました。
喜んでもらおうと、施設まで見せに行ったのですが・・・
もうよくわかっていない様子でした。
それでも着たところを見せることができただけでもよしとしました。

その次に着たのは
大坂適塾プロジェクト「結」で
「母から繋がる江戸しぐさ」のお話を
最後に縫ってくれた刺し子の着物を着て語りました。

江戸がエコの都市であったことをお伝えするのに
こうして着ている着物もエコであることもお伝えしました。
元々、刺し子の着物は労働着だったのです。
痛んだところを繕ったことから始まったそうです。
チクチクと糸を刺すことで労働に耐えるように頑丈にしたのですね。

まさにぴったりでしたよね。
おかあさん。見ていたよね。

参加した方が書いてくれました。

私の大好きな江戸しぐさの優子さんのお召し物は着物で
優子さんのお母さんが縫われた刺し子だと聞いてビックリ。
じっくり見せてもらうと
確かに手で一針一針丁寧に縫われていて、手間をかけて
相手を思いながら作られたものがここにあって
こうやって受け継がれていくということに
不思議な感動を覚えました。

そのように思っていただける。

着物には思いがこもっています。
着る人を幸せにする。

いろいろな思い入れのある着物があります。
そのなかでも一番!
もっと着たいと思う着物です。

 

 

 

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