一枚の自分史:私はエスニック料理が苦手なんだってこと!
2010年3月早春の頃
会社の近くのエスニック料理店
私の定年退職の送別会だった。
時代のキーワードはオバマ大統領、事業仕分け、「もしドラ」、 AKB48
ヘビーローテーションなど賑やかな時代だった。
新型インフルエンザの感染が拡大しているとマスコミなどでは喧伝されていた。今となっては、何やら 因縁めいている。
定年退職後、自由な時間が増えて好きなことができると思っていた。
ところがとんでもない。
フリーになってからの10年間の方が忙しい毎日だった。
仕事のピークは65歳で訪れた。
70歳になっても仕事はやってきた。
ありがたいけれど、これではやりたいことを何もしないで終わってしまう。
昨年、70歳を機に一線を引いたつもりだった。
好きなことをするつもりだった。
色々なご褒美を用意していたけれど、コロナ禍でどこにも行けなくなった。結局、相変わらず仕事は続ける羽目になっている。
会社を去るにあたっては、フリーで仕事をする不安よりワクワクが勝った。
ビジネスマナー講師養成講座と福祉大学の留学生へのビジネス日本語講座をその年の秋には開講することになっていた。
会社生活は決して楽なものではなかった。
ほとんど、問題解決のためだけに問題解決をしているような日々だった。
特に50代は、会社のリストラ業務に関わりながら
母親の介護をし見送った。
本当は介護休暇をとって看取りたかった。
上司からは遠回しに拒否された。
リストラ業務と介護で
息子のリストラの痛みにも
失恋とそのせいで留年した娘の痛みにも
寄り添ってやれなかったことが何よりもつらかった。
一番ひどいのが夫の借金の返済と問題行動だった。
無給の介護休暇をとって母を看たいという願いを聞かずに
無言を通して逃げた。
人間は一つか二つの大きな問題ならなんとか耐えられる。
これだけ難題を抱えたら持たないよと友人からは心配された。
よく体を壊さなかったものだ。
心は完全に折れていた。
折れていても日々生きなければならなかった。
いやでもマインドは強くなった。
会社を定年退職したら、少し楽になった。
というより、意外なくらい状況は良くなった。
自分を否定し、低く見積もり
反発と責任感だけで続けていたのかもしれない。
外に出たら、もっと苦労するのかと思ったら
拍子抜けした。
61歳と64歳で求職活動をした。
どちらも6社に書類を送ったが、年齢で半分は落ちた。
面接を受けたところは全部採用された。
もちろん、個人の事業者は立場が弱い。
理不尽な扱いと搾取をされた。
搾取されているとは気づかずに
自己評価を低く見積もってしまった。
今から思えば、会社でもそうだったのかな。
ずっと違和感でモヤモヤしていた。
もうそろそろ仕事を辞めようと思った頃
提示される時給はピークに達した。
やっと自分を正当に評価できたように感じた。
なぜそんなことになったかについては
また別の自分史で書くことにしようと思う。
何よりも自由であること以上のことはない。
今は自己責任で何でもできる。
そして、人の責任は取らなくていい。
これほどありがたいことはない。
苦手な問題解決をしなくていい。
大好きな目標達成だけをしていればいい。
最高の60代を過ごした。
あの60代があったから、70代が最高だと思える。
最期の日まで、やりたいことが目白押しで、日々は充実している。
「ツナグ」こと、「丁寧に暮らす」ことにだけにかまけていたらいい。
ありがたいことだ。
会社には感謝してる。あの毎日があったから、今の私がいる。
共に過ごした人たちからも有難い時間をいただいたと思っている。
でも、今なら言える。
あの日、絶対に言えなかったことがある。
「私はエスニック料理が苦手なんだってこと!」である。
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