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一枚の自分史:山日記「キレンゲショウマ」

2005年8月55歳の時、山仲間3人と一緒に四国の剣山に登った。 下山路の途中での谷筋でキレンゲショウマを見つけた。

その年の5月、ゴールデンウィークの初日に 剣山に登りたくなった。別に剣山でなくてもよかった、 何処にもいかずに家で連休を過ごすのが嫌だった。 つい前年に逝った母のことをどうしても思い出してしまう。どこでもいいか ら山に登りたかった。

宿泊も伴うので一人では心もとない。山仲間にも それぞれに家族がいてそれぞれに用もあっただろう。 どうせ無理だと思って、その頃の一番の山仲間のきゅうちゃんを誘ってみた。
主婦のきゅうちゃんは 意外にも
「ええよ、いこか」
と二つ返事だった。急遽、ザックに荷物を詰めて出かけることになった。
きゅうちゃんは、後で
「あなたの声があんまり沈んでいたからやで。お母さんのことがあるから放っておけんかったんやで、そうやなかったら、家のことほっといてこんな急な誘いで出てけえへんよ」
と言っていた。
ずっと寂しさが貼りついていたような心もとない山旅だった。ただ、友人の優しさが身に染みた。

剣山は全く困難な山ではなかったが、登山をするまでのアプローチが長い。和歌山まで行ってフェリーで徳島まで渡った。そこから土讃線、 そしてバスに乗り換えて登山口まで。
山は雨だった。雨具での出発となった。 頂上の小屋に着く頃には雨も上がっていた。頂上も小屋も快適だった。
帰りは日本百名山踏破を目指して車で来ていた登山者が駅まで送ってくれるという幸運もあった。
その時に話になった。剣山には四国の山にしかないキレンゲショウマという幻の花があるらしい。山尾登美子さんの小説「天涯の花」に出てきていた。 頂上にある 剣山神社で神主の娘が一人で神社を守っていた。その主人公を象徴するのがキレンゲショウマだった。見たいと思った。

そしてその夏、キレンゲショウマを求めて剣山に他のメンバーも誘って 4人で登った。 5月連休に比べて 8月の山はそれは快適そのものだった。4人の昔の女子はあくまで元気で、天気は上々、頂上からは夕日も朝日もどちらもしっかり見ることができた。 翌朝、足を延ばした次郎笈(じろうぎゅう)までは美しい稜線だった。
ところが肝心のキレンゲショウマの姿には全くお目にかかれない。意気消沈して下っていると、谷筋の薄暗いところに黄色い小さな光がポツポツと動いている。まるで蛍が舞っているようだった。もしやと思ったらそこはキレンゲショウマの群生地だった。蛍に見えたのは風に揺れるキレンゲショウマの蕾だった。時々 咲いている花もあった。
逢えた嬉しさに体が震えた。正に「孤高の花」だった。

あの頃に私にはピンチが団体で押し寄せていた。リストラ、母の介護、娘の失恋、息子のリストラと一気にやってきた。 心が潰されそうだった。
潰れずにいられたのは、ひとえに山に登って現実逃避することができたことだった。
高山植物に出逢おうと思ってもタイミングに大きく左右される。だからこそ出逢えると無性に嬉しかった。そうしてピンチが去るのを待った。あの頃の山登りは現実逃避そのものだった。
今から思えばうまい逃げ道だったと思う。

この夏、NHKの朝ドラ「らんまん」で多くの高山植物に出逢うことができた。キレンゲショウマもその中に入っていた。おかげで、私の高山植物への憧れが再発したようだ。六甲の高山植物園でも見られたようだった。
この後どれくらい逢えるかわからないけれど、山の上まで上がらなくて逢えるならば逢いに行こう。
今は山には登れないが、こうして山での出逢いを書いたりして楽しむこともできる。山にはその折々の楽しみ方がある。


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